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貪らぬ心に、真の豊かさは宿る


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■引用原文(仮訳)

田畑の汚れは雑草であり、
この人々の汚れは貪りである。
それ故に、貪りを離れた人々に供養して与えたものは、
大きな果報をもたらす。

※この内容は仏典『ダンマパダ』第355〜360偈の流れと一致し、『バガヴァッド・ギーター』では第3章第37節「貪欲こそが悪の根」での欲望の批判、第17章「布施の三性」ではサットヴァ(純質)な布施が執着なき精神から生じるとされます。


■逐語訳(意訳)

田畑に雑草が生い茂ると、
本来の実りが育たないように、
人の心もまた、貪り(貪欲)に覆われると、
本当の善性が見えなくなる。

しかし、貪欲を離れ、物や地位に執着せず、
静かな心で生きている人に対して行われる供養は、
その誠実さにふさわしい、大きな果報をもたらす。


■用語解説

  • 田畑の汚れ=雑草:自然な生育や実りを阻害する象徴。
  • 人々の汚れ=貪り(とんよく):仏教三毒の一つ。満たされぬ欲、執着、飽くなき所有欲。ギーターでも迷妄の根源とされる。
  • 貪りを離れた人々:物質や承認への執着を超えた、静かな精神状態にある者。ギーター的には「サットヴァ的行者」。
  • 供養・与える:物・時間・労力・心を込めた支援や敬意の表現。
  • 果報(かほう):与えた者に返ってくる善果。精神的・霊的報いを含む。

■全体の現代語訳(まとめ)

田畑に雑草がはびこれば、
そこに蒔いた良い種も実ることはない。
人の心もまた、貪りに覆われていては、
本来の智慧や徳は育たない。

だが、貪りを離れ、必要なものだけで静かに生きる人に対して
誠意をこめて供養を行えば、
その行為は魂と魂を結び、
やがて大きな果報となって返ってくる。


■解釈と現代的意義

この章句は、「貪欲に満ちた者」と「貪りを離れた者」との違い、
そして「どこに徳が宿るか」を明確に示しています。

現代では、消費や所有が“成功”と同一視されがちですが、
真の徳とは、執着を捨て、分かち合いと内的充足を選ぶ心に宿る――
それがギーターや仏教が繰り返し説く、生の本質的なあり方です。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用例
経営哲学利益追求だけでなく、必要以上を求めぬ精神が、持続可能性と信頼を築く。
サステナビリティ分かち合うことを基本とした価値観が、長期的な企業ブランドと果報を生む。
チーム内の評価貪らずに誠実に貢献する人こそ、周囲に良い循環と信頼をもたらす。
リーダーの姿勢権力や成果への執着を手放した指導者は、組織に静かな安定と尊敬を広める。

■心得まとめ

「貪りを離れた心には、他者の恵みが自然と集まる」

持つことではなく、離れることによって、
本当の豊かさは得られる。
欲望を満たすことが果報なのではなく、
欲から自由になった者に与えられる恵みこそ、最大の果報である。

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