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老いは智慧の証にあらず


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■引用原文(日本語訳)

頭髪が白くなったからとて〈長老〉なのではない。
ただ年をとっただけならば『ばかになって老いぼれた人』と言われる。

―『ダンマパダ』第11章 第11偈


■逐語訳

  • 頭髪が白くなったからとて(na tena therā hoti):髪が白くなったからといって、それで〈長老(尊敬される人)〉になれるわけではない。
  • 〈長老〉なのではない(yenassa palitaṁ siro):ただ白髪になったことをもって敬う対象にはならない。
  • ただ年をとっただけならば(paripakko ca mānasaṁ):精神が熟していないまま歳をとった人は、
  • 「ばかになって老いぼれた人」(vaḍḍho iti vuccati):単に「老いぼれた愚か者」と呼ばれるだけである。

■用語解説

  • 長老(thera):仏教僧の中でも年功・徳行ともに備わった人に贈られる称号。形式ではなく実質を重んじる言葉。
  • 白髪(palitaṁ):加齢の象徴としての白髪。ここでは「外見上の年齢や老い」を意味。
  • 精神の成熟(paripakko mānasaṁ):知恵・思慮・人格の深まり。単なる年齢とは別の、精神的な完成度。
  • 愚かで老いぼれた人(vaḍḍho):年齢を重ねただけで中身の伴わない人への皮肉的呼称。

■全体の現代語訳(まとめ)

仏陀は、「髪が白くなっただけでは人は尊敬されない。年齢を重ねることと、精神の成熟とは別である」と説いています。
内面の知恵や節度を備えず、ただ年をとっただけの人は、真の意味での“長老”ではなく、“愚かに老いた者”に過ぎないのだと。


■解釈と現代的意義

この偈は、**「年齢や肩書きではなく、内面の成熟こそが尊敬を生む」**という明確な価値観を示しています。
現代でも、「ベテラン」や「上司」といった立場が、自動的に尊敬を受けるべきものとされがちですが、この偈はそれに対して「本質を見よ」と警告します。
精神の成熟がなければ、どれだけ年を重ねても、人からの真の敬意や信頼は得られないのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点現代ビジネスでの適用例
年功序列の限界年齢や勤続年数だけに依拠した評価制度は、組織の信頼を損なう。人格と行動が伴ってこそ敬意が生まれる。
真のリーダーシップ部下や若手からの信頼は、年齢よりも「傾聴力」「誠実さ」「実行力」によって築かれる。
キャリアの後半戦人生の後半で本当に問われるのは「自分が他者に何を与えられるか」という内面の成熟。
成熟度の見直し自己認識を怠ると、「老いたけれど何も変わらない人」になってしまう。常に内省と成長が必要。

■心得まとめ

「年齢は尊敬の条件にあらず。尊敬は、心の成熟に宿る」

仏陀は、外見や年齢による評価を否定し、「人の価値は内面にある」と説いています。
年をとったからといって、自動的に尊敬を受けられるわけではありません。
むしろ、誠実に生き、精神を鍛え続ける者こそが、たとえ若くとも“長老”と呼ばれるにふさわしいのです。
現代の組織や社会でも、この「実質を見る目」がますます求められているのではないでしょうか。

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