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📖 引用原文
久しく旅に出ていた人が、遠方から無事に帰って来たならば、
親戚、親友、友人たちは、かれが帰って来たのを祝う。
——『ダンマパダ(法句経)』第5章 第二十句
🧩 逐語訳
- 久しく旅に出ていた人が、
長い間家を離れていた旅人が、 - 遠方から無事に帰って来たならば、
困難や危険を経ながらも、安全に故郷へ戻ってきたとき、 - 親戚、親友、友人たちは、
その人のことを気にかけていた人々、身近な存在たちは、 - かれが帰って来たのを祝う。
その無事を心から喜び、歓迎し、祝福する。
🔍 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
久しく旅に出ていた | 現実的には長期間不在であったこと。比喩としては「正しい道から離れていた心」「修行の探求の旅」などを指す。 |
遠方 | 危険・不確かさ・心の迷い・俗世間など、仏教的には煩悩の世界を象徴することも。 |
無事に帰って来た | 心が清らかさを取り戻す、正しい道に戻る、修行が成就する、などの精神的な帰還も意味する。 |
祝う | 喜びを分かち合う。仏教では「徳を喜ぶ(随喜)」という意味にも通じる。 |
🗣 全体の現代語訳(まとめ)
長く旅に出ていた人が、さまざまな困難や迷いを経て、
無事に帰ってくれば、家族や仲間たちは心からその帰還を喜ぶ。
それは、「還る」ということが、どれほど尊く、かけがえのないことであるかを教えてくれる。
🧠 解釈と現代的意義
この句は、一見すると旅の風景を描いたように見えますが、
仏教的には**「迷いからの帰還」「迷いから目覚めた心」**の象徴でもあります。
つまり、「長く道を誤っていた人」「煩悩に沈んでいた人」が、
ある時、正しい道に立ち返ったとき、
それを責めるのではなく、周囲は喜んで迎え入れよという教えです。
現代社会でも、人は失敗し、道を踏み外し、ときに自分を見失います。
しかし、その人がやり直そうと戻ってきたとき、私たちはそれを祝う心を持てるかどうか――
この句は、そうした許しと歓迎の姿勢の大切さを説いているのです。
💼 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
組織の寛容性 | ミスをした社員、離職から復帰した仲間を責めるのではなく、温かく迎える文化が組織の信頼を高める。 |
リーダーシップ | 部下が誤ちに気づいて戻ってきたとき、正しさを押しつけるのではなく「戻ってきてくれてありがとう」と言える上司が、真の影響力を持つ。 |
個人の成長 | 自分自身が一度迷っていたことに気づき、戻ってきたとき、それを「失敗」と捉えず、「旅の成果」として受け入れることが前向きな成長につながる。 |
事業判断 | 一度採用した方針を手放し、軌道修正することも「還ること」であり、祝福すべき英断である。 |
🧭 心得まとめ
「迷いの道から帰る者を、咎めるな。喜び迎える心にこそ、真の智慧が宿る」
私たちは誰もが、心の旅人です。
ときに道を誤り、ときに遠く離れます。
けれど、それに気づき、還ってきた心を迎え入れる文化――
それが家庭に、職場に、社会に根づいているならば、
人はもっと、安心して学び、戻り、やり直すことができるのです。
戻る場所があること。迎える人がいること。
それは、人間社会の根本的な優しさであり、力なのです。
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