■ 引用原文(日本語訳)
修行僧はいそしむことを楽しみ、
放逸のうちにおそろしさを見、
堕落するはずはなく、
すでにニルヴァーナの近くにいる。
――『ダンマパダ』第四章「はげみ」第32節
■ 逐語訳(一文ずつ現代語訳)
- 修行僧(比丘)は、努力し精進することを喜びとしている。
怠けることではなく、自らを鍛えることに生きがいを感じている。 - 怠惰(放逸)の中にある恐ろしさを理解している。
心の緩みが、精神の退廃や煩悩への隷属につながると知っている。 - そのような修行者は、堕落することがない。
煩悩や世俗的な欲望に支配される危険から自由になっている。 - 彼はすでに、ニルヴァーナ(涅槃)の間近にいる。
解脱の境地、真の安らぎの門前にまで到達している状態である。
■ 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
修行僧(比丘) | 仏教徒として自らを律し、修養する者。現代では「自己を高めようとする人全般」にも当てはまる。 |
いそしむこと(精進) | 心を怠けさせず、継続して努力すること。 |
放逸(プラマーダ) | 気の緩みや注意力の欠如からくる怠惰。 |
堕落 | 精神的・倫理的な堕ち方。煩悩に取り込まれていくこと。 |
ニルヴァーナ(涅槃) | 一切の苦悩・執着・欲望から完全に解放された境地。仏教の究極の目的。 |
■ 全体の現代語訳(まとめ)
精進を喜びとして生きる修行者は、
怠惰の恐ろしさを知り、それに近づかないようにしている。
そのため、堕落とは無縁であり、
心の自由と清浄の境地――涅槃――に、限りなく近いところにすでに立っている。
■ 解釈と現代的意義
この節は、**「今この瞬間の態度こそが、未来を決定づける」**ことを強調しています。
努力は結果をもたらすだけでなく、それ自体がすでに“解放への道”そのものであるという認識を示しています。
つまり、修行者の精進とは、単なる準備行為ではなく、
すでに目的地(ニルヴァーナ)の境界に足を踏み入れているような尊いものである――
このような励ましと確信が込められています。
怠惰と油断を戒めるのみならず、努力する人に対して「あなたは間違っていない」と語りかけてくれる力強い句です。
■ ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
努力の積み重ねの尊さ | 目に見える成果が出ていなくても、正しい方向へ進んでいる努力は、それ自体がすでに成功の前段階にある。 |
怠惰のリスク管理 | 心が緩みそうな時、「怠け」の先には成長の停止や信頼の損失があると自覚し直すことが大切。 |
未来をつくる現在の態度 | 「どういう人になるか」は未来の問題ではなく、「今どういう姿勢で生きているか」によって決まる。 |
プロフェッショナリズムの到達点 | 結果だけで評価されるのではなく、不断の努力と自律的な姿勢そのものが信頼と評価につながる。 |
■ 心得まとめ
「努力の今に、解放の未来が重なっている」
真摯な努力を楽しみ、怠けることの危うさを知って歩む者は、
すでに迷いの世界から離れつつある。
その足元には、安らぎと自由――
涅槃の光が確かに差している。
この節は、第四章の結語にふさわしい内容であり、
精進の道の確信と祝福が込められています。
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