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怠りを恐れ、はげむ者は、悪をも祓う風となる


■ 引用原文(日本語訳)

修行僧は、つとめはげむのを楽しみ、
放逸のうちに恐ろしさを見、
悪いことがらを吹き払う。
風が木の葉を吹き落すように。

――『ダンマパダ』第四章「はげみ」第28節


■ 逐語訳(一文ずつ現代語訳)

  1. 修行僧(比丘)は、努力することに喜びを見出す。
     精進・はげみを自らの生きがいとしている。
  2. 怠惰な生活(放逸)には、破滅の予兆を見る。
     油断がもたらす恐ろしさを直観し、近づかない。
  3. そのような修行者は、悪しき事柄(煩悩・迷妄)を吹き払う。
     努力の力によって、内面の汚れや障害を一掃していく。
  4. それは、風が枯れ葉を吹き飛ばすように自然で力強い。

■ 用語解説

用語解説
修行僧(比丘)ブッダの教えに従って修行を行う者。現代的には「実践者」全般にも通ずる。
つとめはげむ(精進/ヴィーリヤ)持続的努力。心身を鍛え、道を進むための実行力。
放逸(プラマーダ)気の緩み、怠惰、自己放棄の状態。
悪いことがら(アクサ)煩悩・悪習・無明・欲・怒りなど、心の汚れを指す。
風が木の葉を吹き落すように自然に、しかし確実に悪を取り除いていく姿の比喩。努力が無理なく習慣化し、結果を生むさま。

■ 全体の現代語訳(まとめ)

努力を喜びとする修行僧は、怠惰の危険性を理解している。
そのため、日々のはげみによって、自分の中の悪しきもの――
煩悩や誤った考え、惰性を、まるで風が木の葉を吹き払うように取り除いていく。
努力の積み重ねは、やがて心を清め、自然と悪から遠ざけてくれる力となる。


■ 解釈と現代的意義

この節は、**「努力が習慣となることで、心の汚れが自然に消えていく」**という実践的な教えです。
修行とは、苦行でも義務でもなく、「喜びをもって精進する」ことであり、
それによって悪や弱さを強制的に排除するのではなく、自然に離れていくことができると説いています。

現代の私たちにとっても、悪習・迷い・煩悩から抜け出すには、特別な方法よりも、
「努力を喜ぶ習慣」を育てることが最も効果的であるという智慧が込められています。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
継続的な自律自ら努力することを楽しめる人は、自己制御が高く、ミスや不正を防ぐ体質を持つ。
悪習からの脱却怠け・不注意・言い訳といった悪しき習慣も、ポジティブな努力の継続で自然と消える。
成果よりも習慣結果を追うより、正しい努力の継続が、問題の予防と信頼形成につながる。
環境変化への対応風のようにしなやかに、自らを変えながら不要なものを手放せる人材が強い。

■ 心得まとめ

「精進を喜ぶ者に、悪はとどまらない」

怠惰を恐れ、努力を楽しむ者は、
自然に心の澱(おり)を祓い、明るく澄んだ道を歩む。
その歩みは決して無理ではなく、風のように静かで力強い。
一つひとつの行動が、その人自身を救い清めていくのである。


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