MENU

自らを律し、心を照らす者に、もはや汚れなし


■ 引用原文(日本語訳)

よく修行を始めて、常に身体(の本性)を思いつづけて、
為すべからざることを為さず、為すべきことを常に為して、
心がけて、みずから気をつけている人々には、諸の汚れがなくなる。

――『ダンマパダ』第四章「はげみ」第20節


■ 逐語訳(一文ずつ現代語訳)

  1. しっかりと修行を開始し、
     仏教の道に歩み出し、日々努力する姿勢をもつ者は、
  2. 常に身体(の無常や本質)を思い続けている。
     この身体が老い・病・死に向かう無常なるものであることを忘れずにいる。
  3. してはならないことはせず、
     悪行・不正・欲望に基づく行為を遠ざけ、
  4. なすべき正しい行いを、絶えず実践している。
     慈悲、節度、気づき、正念といった修行の徳目を日常で実践する。
  5. こうした人々が、自らを見つめ気をつけているならば、
     内省と注意深さを保ち、自制と自律を忘れなければ、
  6. 彼らの心からは、あらゆる汚れ(煩悩)が消え去る。
     貪欲・怒り・無知といった心の障りは自然と消滅していく。

■ 用語解説

用語解説
修行(バーヴァナー)精神・行動・知恵を育てる実践。仏道の歩みそのもの。
身体の本性無常・不浄・苦・無我の四観。身体に対する正しい認識。
為すべからざること(アカッタヴァ)道徳に反する行為。五戒に反することなど。
為すべきこと(カッタヴァ)慈悲・施し・節度・瞑想など、徳に基づく実践行動。
汚れ(キレーサ)貪欲・瞋恚・愚痴の三毒を中心とする、心の不純物。

■ 全体の現代語訳(まとめ)

仏道をしっかりと歩み始めた者は、
身体の無常性・不完全さを思い、驕らず、謙虚に日々を生きる。
してはならないことを避け、なすべきことを積極的に行い、
内省と注意をもって自らを律する人の心からは、
あらゆる煩悩の汚れが次第に消え去り、清らかさが満ちていく。


■ 解釈と現代的意義

この節は、**「努力と気づきのある日常実践こそが、心を浄化する」という仏教の根本的な教えを説いています。
精神的な清らかさは、特別な儀式や知識ではなく、
日々「なすべきことをし、してはならぬことを避ける」地道な実践によって育まれる。
また、身体の限界や死を意識することによって、今この瞬間の生き方の大切さが際立つのです。
これは、現代社会における
「セルフマネジメントと倫理的生き方」**の核心とも重なります。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
自己律と日々の振り返り自分の行動・発言・態度を見直す習慣を持つことで、成長と信頼が積み重なる。
モラルと誠実な仕事成果よりも、日々誠実に行うことを最優先にすれば、自然と評価と幸福がついてくる。
身体性への意識健康・体調管理もまた、仕事の質と継続性を左右する。無常性を知ることで日々の選択が深まる。
汚れを溜めない働き方嘘、先延ばし、ごまかしを排し、透明でまっすぐな仕事を心がけることが、心と組織を清める。

■ 心得まとめ

「気づきと実践が、心の浄化を導く。」

行動を整え、思考を正し、心を見つめ続ける。
一歩一歩の誠実な歩みが、
知らず知らずのうちに煩悩を洗い流し、
人生を静かで清らかなものへと変えていく。
それが、仏の道であり、成熟した人間の生き方である。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次