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愛執の軛に縛られて、生と死の流転に堕ちる


目次

📜 引用原文(日本語訳)

衆生は愛執に縛られて、移りかわる生存に心がなずんでいる。
人々は悪魔によって軛(くびき)にむすばれ、安穏を失い、生死のうちに落ちて来る。
もろもろの軛は、実に超克しがたいものだ。
――『ダンマパダ』 第三章「愛執」より(七)


🔍 逐語訳・語句解説

  • 衆生:生きとし生けるもの。とりわけ輪廻に迷い苦しむ存在を指す。
  • 愛執に縛られて:欲望と執着により心が縛られ、自由を失っている。
  • 移りかわる生存(サンサーラ):輪廻転生のこと。生まれ変わり死に変わる流れ。
  • 心がなずむ:その状態に染まり、慣れてしまい、疑いもなく依存していること。
  • 悪魔(マーラ):仏教で「迷い・煩悩・死」を象徴する存在。悟りの妨げ。
  • 軛(くびき):家畜の首にかけて縛る横木。ここでは心を拘束する見えざる鎖の比喩。
  • 安穏を失う:心の平安・自由・悟りを喪失していること。
  • 生死のうちに落ちて来る:輪廻の苦に堕ち、出離できない状態。

💬 全体現代語訳(まとめ)

すべての生きとし生ける者は、愛執という見えない鎖によって縛られ、移ろいゆく生死の流れ(輪廻)に心が染まりきっている。その姿は、まるで悪魔(煩悩)に軛でつながれ、自由を失い、真の平安から遠ざかっているようなものだ。そしてこの軛――すなわち欲望と無知による束縛は、極めて乗り越えがたいものである。


🧭 解釈と現代的意義

この節は、**なぜ人は苦しみから抜け出せないのか?という根本原因に対して、「愛執と慣れ(なずみ)」**という視点から答えを与えています。

私たちは欲望や執着に縛られているだけでなく、それに「慣れてしまっている」「それが当然だと思っている」点に問題があります。
その「慣れ」が心の惰性となり、結果として自分で自分を縛っていることに気づかないのです。

このような精神の麻痺を超えるには、まず「その軛の存在に気づくこと」、そして「それが外れる可能性を知ること」が大切です。
ブッダは、軛を壊す道(正見・正念・離執)を示しながら、その難しさも正直に告げています。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
思考の惰性と慣れ非効率な業務プロセスや古い慣習に「なずんで」変えようとしない姿勢は、進化を妨げる「軛」となる。
組織文化と執着過去の成功体験や「こうあるべき」という固定観念への執着が、企業の自由度と革新性を損なう。
リーダーの自己認識自分が何に縛られているのか(地位、評価、影響力など)を知らなければ、真のリーダーシップは発揮できない。
精神的ウェルビーイング目に見えない欲や恐れに縛られている限り、どれほど環境が整っていても「安穏」は訪れない。内的自由が先。

🪷 心得まとめ:感興のことば

「執着という軛は、自らがはめたもの。
気づけば外れるが、慣れれば一生、囚われる」

この節が伝えるのは、「欲望だけでなく、その慣れが心を閉じ込める」という事実です。
マーラ(悪魔)は外にいるのではなく、心の中に生まれ、軛となって安穏を奪うのです。

私たちが日常の中で「当たり前」と思っていることに、実は執着や恐れが染みついていないか――それを見極める目こそが、軛を断ち切る第一歩です。


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