MENU

一切を手放した者に、真の自由は宿る


目次

■引用原文(日本語訳)

前にも、後にも、中間にも、
一物をも所有せず、
無一物で、何ものをも執著して取りおさえることのない人――
かれを、われは〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第421偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳と語義

  • Yo na kāyena na vācāya na cetasā:「その人は、身体でも、言葉でも、心でも」
  • Pubbe vā pacchā vā majjhe vā:「過去においても、未来においても、現在においても」
  • Kiñci loke upādiyati:「世界の何ものをも執着して握らない」
  • Anupādāya:「一切の執着がない」
  • Tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:「その人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ」

■用語解説

  • 前・後・中間(pubbe, pacchā, majjhe):時間軸(過去・未来・現在)と空間的あらゆる地点を含意。
  • 一物も所有せず(kiñci upādiyati):物質的・精神的対象をいっさい取らない(「自分のもの」としない)。
  • 無一物(anupādāya):執着(upādāna)を完全に離れた状態。すなわち「無所有」「無依存」。
  • 取りおさえることのない人:自我や成果・地位・経験すらも「我が物」としない。

■全体の現代語訳(まとめ)

過去においても、
未来においても、
今この瞬間においても――
どんなものであっても、
所有しようとせず、
心に握りしめることもない。

何ものをも自分のものとせず、
完全に自由な人――
そのような人を仏陀は〈バラモン〉と呼ぶ。


■解釈と現代的意義

この偈は、仏教の根本である**無執着(非我)と無所有(無一物)**の思想を表現しています。

人は、所有を通してアイデンティティを持とうとします。
「私の仕事」「私の家族」「私の経験」「私の過去」――
しかし、それらにとらわれるほどに、心は縛られ、自由を失います。

真の〈バラモン〉は、それら一切を**「自分のもの」とせず、むしろ通り過ぎる現象として見送る者**です。
彼にとって、過去も未来も「執着の対象」ではなく、いまの静けさの中に生きるだけなのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
過去の成功や失敗への執着を手放す昔の実績や失敗体験にしがみつかず、新しい視点で現場に臨む力。
肩書や所有への囚われからの脱却名刺の肩書きや報酬・所有物にアイデンティティを依存しない生き方。
今に集中するマインドフルネス過去を悔やまず、未来を不安がらず、「いまここ」の業務に誠実であることが、最大の力となる。
「成果に執着しないが、誠実に行う」姿勢結果に縛られず、プロセスを淡々と行うことが、持続的な信頼と品質を育む。

■心得まとめ

「何も持たず、何にもとらわれず、ただ静かに歩む」

持たざることは、弱さではない。
執着しないことは、無関心ではない。

むしろ、
持たないからこそ、
心は自由に羽ばたく。

とらわれないからこそ、
いまに完全に生きられる。

過去も未来も、
手放したとき――
真の智慧と静けさが生まれる。

それが、
仏陀の語る〈バラモン〉――
「無所有ゆえに、すべてとひとつである者」
なのです。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次