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■引用原文(日本語訳)
神々も、天の伎楽神(ガンダルヴァ)たちも、
人間も、その行方を知り得ない人――
煩悩の汚れを滅ぼしつくした真人、
かれを、われは〈バラモン〉と呼ぶ。
(『ダンマパダ』第420偈|第二六章「バラモン」)
■逐語訳と語義
- Yassa gatiṃ na jānanti:「その人の行き先(真実の境地)を誰も知り得ない」
- Devā gandhabbamānusā:「神々も、ガンダルヴァ(天の音楽神)も、人間も」
- Khīṇāsavaṃ arahantaṃ:「煩悩の漏れを完全に尽くした阿羅漢(悟りし者)」
- Tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:「そのような者を、私は〈バラモン〉と呼ぶ」
■用語解説
- 神々(devā)・ガンダルヴァ(gandhabbā)・人間(mānusā):三界(欲界・色界・無色界)における様々な存在。すなわち、この世界のあらゆる観察主体。
- 行方(gati):行動や心の行き先。ここでは「悟りに達した者の境地」「輪廻を超えた存在のあり方」。
- 阿羅漢(arahant):煩悩(āsava)を滅し、二度と輪廻に戻らない究極の解脱者。
- 煩悩の漏れ(āsava):貪・瞋・痴に基づく心の汚れ、または生存への執着。
■全体の現代語訳(まとめ)
神々でさえも、
天界の音楽神ガンダルヴァたちでさえも、
また人間でさえも、
その人の「心の行き先」「境地」を知ることはできない。
なぜなら彼は、
煩悩の漏れを完全に滅し、
生と死のすべてを超えた真人だからである。
■解釈と現代的意義
この偈は、仏教の最高到達点である「不可思議なる覚者」の姿を描いています。
悟りに達した者(阿羅漢)は、もはや人の視線や言葉、評価の範疇にはない存在。
神でさえ、その本質を見通せず、「行方を知り得ない」のです。
これは一種の「絶対的な自由」を意味します。
自我や期待、世間の価値観を超えた境地――
それは、誰からも分類されず、定義されず、分類不能であるがゆえの尊さなのです。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
他者評価を超越する姿勢 | 他人に理解されなくても、自らの理念に従って静かに行動できる人物は、本物の信念と実力を持つ。 |
形式的な肩書や称号を超える存在感 | 「社長」「上司」「スペシャリスト」といった役職で測れない、人格的信頼や霊的深みをもつ人材。 |
「わかってもらう」ことへの執着の断絶 | 周囲に理解を求めるのではなく、自らの軸で淡々と実践し、時間をかけて本質を示す。 |
精神的影響力と透明な存在 | 発言しなくても周囲に深い影響を与える、沈黙のリーダーシップ。 |
■心得まとめ
「測れぬ者こそ、真の自由を得た者」
理解されなくていい。
賞賛されなくていい。
人の物差しに収まらぬところに、
ほんとうの自由はある。
その人の行方を、
神も、天も、人も知らない――
それは、
何者にも縛られず、
何者にも染まらず、
自らの心に照らされた生き方。
それが、
仏陀の語る〈バラモン〉――
「世界を超えた、不可視の光のような存在」
なのです。
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