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すべての束縛を断ち、目覚めた者が真の自由を得る


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■引用原文(日本語訳)

紐と革帯と綱とを、手綱ともども断ち切り、
門を閉ざす閂(かんぬき)を壊して、完全に目覚めた者――
その人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第398偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳

  • Yassa pāsaṃsā pādāni:その人は“結びつける紐”を断ち
  • Sandhiyo ettha vāpi ca:ここにある“革の帯(綱)”や連結部分も断ち切り
  • Bandhanaṃ chaḍḍayitvāna:“手綱”や“縛るもの”をすべて放ち
  • Saṅghāṭaṃ tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:“閂(鍵)”すら壊して解き放たれた者――
  • Buddho ti vuccati:「目覚めた者(ブッダ)」と呼ばれるにふさわしい

■用語解説

  • 紐・革帯・綱・手綱(pāsa・sandhi・bandhana):煩悩、執着、感情的な結びつきの象徴。
  • 閂(saṅghāṭaṃ):門や牢獄を閉じる最後の鍵。最終的な執着や無知の比喩。
  • 断ち切る(chaḍḍayitvā):手放す、切る、解き放つ行為。
  • 目覚めた者(buddho):完全なる智慧に目覚めた存在。ブッダ的境地。
  • 比喩構造:これらは馬車や家屋に使う道具を象徴とし、人間の心が束縛されている様を立体的に描写している。

■全体の現代語訳(まとめ)

心を縛る紐・革帯・綱・手綱――すなわち、煩悩や執着のすべてを断ち切り、
最奥にある「閂(かんぬき)」=最後の無明すら壊して完全に自由となった者。
そのような人こそ、真に「目覚めた者」であり、〈バラモン〉と呼ばれるにふさわしい。


■解釈と現代的意義

この偈は、**束縛の比喩を重ねながら「完全なる内的自由の境地」**を説いています。
私たちは日常の中で、「欲望」「執着」「人間関係」「役割」などによって心が縛られています。
一時的に自由になったように見えても、実は「最後の閂」が閉まったままでは、真の解放とは言えません。

この偈は、「完全に目覚める」とは、外側の束縛だけでなく、内なる根深い無意識の執着を断ち切ることを意味しており、まさに仏教的解脱の象徴です。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
段階的な執着の手放し成果への執着→評価への執着→ポジションへの執着→自我への執着…と、自己の内面を掘り下げることで、より自由な意思決定が可能に。
制約の構造的理解外的制約(ルール・評価制度)だけでなく、内的制約(不安・思い込み)を見つめ直すことで、働き方が根本的に変わる。
セルフリーダーシップ他人や仕組みに依存せず、心の「鍵」を自ら開け放つことで、自立的に行動できる人材になる。
創造性の源泉すべての既存フレーム(ルール・前例・常識)から離れたとき、最も革新的なアイデアが生まれる。

■心得まとめ

「心の鍵を壊す者こそ、真に自由な者である」
いくつもの「結び目」を解いてきたつもりでも、
まだ奥に「鍵(かんぬき)」が残っていないか?
本当に目覚めるとは、すべての執着・不安・思い込みを超え、
心の牢獄から抜け出すことである。
ビジネスにおいても、「制限を超えて考える力」「自分の足で立つ力」が、
もっとも深く、もっとも力強い自由と成果をもたらすのです。


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