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六感を制し、心を清めよ


目次

📖 原文引用(『ダンマパダ』第二五章 第360偈)

眼について慎しむのは善い。耳について慎しむのは善い。
鼻について慎しむのは善い。舌について慎しむのは善い。

(原文:Cakkhunā saṃvaro sādhu, sādhu sotena saṃvaro,
ghānena saṃvaro sādhu, sādhu jivhāya saṃvaro.
―『Dhammapada』Ch. 25, v.360)


🔍 逐語訳(逐文・簡潔)

  • Cakkhunā saṃvaro sādhu:眼による制御は善い。
  • Sādhu sotena saṃvaro:耳による制御もまた善い。
  • Ghānena saṃvaro sādhu:鼻による制御は善い。
  • Sādhu jivhāya saṃvaro:舌による制御も善い。

📘 用語解説

  • 慎しむ(サンヴァラ saṃvara):制御・自制・抑制の意。感覚や欲望をコントロールする仏教用語。
  • 眼・耳・鼻・舌:いずれも**感覚の門戸(インド語でアーヤタナ)**を指し、外界の刺激を受け入れる五感のうち四つ。仏教では心の修行において、まずこれらの感覚の統御が重要とされる。
  • 善い(サードゥ sādhu):善きこと、望ましいこと。修行者の道として適していること。

🗣️ 全体の現代語訳(まとめ)

目からの刺激に流されないように注意するのは善いことである。
耳からの情報に惑わされないように慎むのも善いことである。
鼻(嗅覚)、舌(味覚)についても同様に、それらに過度に支配されずに制御することは、修行者の道において重要である。


🧭 解釈と現代的意義

この偈は「感覚の自制」が人格形成の出発点であることを示しています。
現代においては、私たちは視覚・聴覚を通じて日々膨大な情報に晒されています。SNSの投稿、広告、誘惑、言葉、食欲――これらはすべて、感覚を通して心を揺さぶり、集中を乱し、自己を忘れさせるものです。
「慎しみ」は否定や抑圧ではなく、“自由”への第一歩です。 目に入るものすべてに心を奪われず、耳にする言葉すべてに反応せず、味や香りに振り回されないことで、初めて自己の軸が立ち上がるのです。


💼 ビジネスにおける解釈と応用

観点応用・実践例
情報過多の対処法無用な通知・ニュース・SNSに振り回されない「眼と耳の慎しみ」が集中力を養う。
誘惑への対処食や快楽に対する過剰な執着(舌・鼻の欲)を自覚し、自己コントロール力を高める。
マインドフルネス感覚を観察し、自分が何に影響されているかを意識することで、冷静な判断力と自己制御を保つ。
会議や商談の場相手の言葉(耳)や態度(目)に過剰に反応せず、冷静で誠実な対応を心がける。

🧠 心得まとめ(ビジネスパーソン向け)

「五感は外から内へと忍び込む――だからこそ、見つめ、聴き、嗅ぎ、味わう前に、整えるべきは“心の門番”である。」
誘惑や情報、感情に心を持っていかれる前に、自分の「見る・聴く・嗅ぐ・味わう」態度を正すこと。これは、現代人のストレスマネジメントの要でもあり、プロフェッショナルとしての自己管理力の核心でもある。


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