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■引用原文(『ダンマパダ』第二一章 第三〇二偈)
出家の生活は困難であり、それを楽しむことは難しい。在家の生活も困難であり、家に住むのも難しい。心を同じくしない人々と共に住むのも難しい。(修行僧が何かを求めて)旅に出て行くと、苦しみに遇う。だから旅に出るな。また苦しみに遇うな。
――『ダンマパダ』 第二一章 第三〇二偈
■逐語訳(一文ずつ訳す)
- 「出家の生活は困難であり、それを楽しむことは難しい」
――欲望を断ち切った修行者の生活も、心身に厳しく安らかではない。 - 「在家の生活も困難であり、家に住むのも難しい」
――家庭や社会に身を置く生き方も、責任や煩悩に満ちており、楽ではない。 - 「心を同じくしない人々と共に住むのも難しい」
――価値観が異なる人々と共に暮らすことも、葛藤や摩擦を生む。 - 「(修行僧が何かを求めて)旅に出て行くと、苦しみに遇う」
――あれこれ求めてさまようなら、思い通りにならず苦しみが増す。 - 「だから旅に出るな。また苦しみに遇うな」
――外に何かを求めてさまよわず、苦しみの原因から距離を取れ。
■用語解説
- 出家の生活:
世俗を離れ、欲望を断ち、修行と清浄な生活を行う道。精神的には高貴だが、生活的には厳しい。 - 在家の生活:
家庭・職業・社会生活を営みながら生きる一般の人々の生活。責任や煩悩、対人関係の苦しみが多い。 - 心を同じくしない人々:
価値観・信条・目標が異なる人々。共にいると摩擦・ストレスの原因になる。 - 旅に出るな:
ここでは単に移動や旅行を指すのではなく、「満たされぬ欲を追い、外に幸福を求めてさまような」という戒めの比喩。
■全体の現代語訳(まとめ)
出家であれ在家であれ、どのような生き方にもそれぞれの困難がある。
他人と心が合わずに暮らすことも苦しく、また満たされぬ想いを抱いて旅立てば、新たな苦しみを招く。
ゆえに、外へとさまようのではなく、いまここにある苦を直視し、静けさと気づきの中で受け入れる生き方を選べとこの偈は説いている。
■解釈と現代的意義
この偈は、どの道を選んでも「完全な安楽」は存在しないことを明言しています。
現代の私たちも「転職すれば」「結婚すれば」「独立すれば」「旅すれば」…と、外に“解決”を求めがちです。
しかし仏教の視点では、環境を変えることが問題解決ではなく、苦しみの根源は「心のあり方」にあるとされます。
したがって本偈は、「苦しみの少ない生き方を選べ」というより、
**「苦しみと向き合い、それにとらわれない智慧を持て」**というメッセージなのです。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
環境に過剰な期待をしない | 転職や異動などに過度な理想を抱かず、どこにいても苦労はあると理解することで、冷静に判断できる。 |
対人ストレスの本質理解 | 合わない相手との協業には苦しみがつきものと受け止め、逃避ではなく「境界設定」や「共通点発見」で乗り越える。 |
過度な探求癖の手放し | 「もっと良い方法があるはず」「他社ではうまくいっている」という幻想に振り回されず、足元の改善に注力する。 |
覚悟を持った選択 | どの選択にも苦労は伴うことを理解したうえで、自分の価値観に合った道を選び、腹をくくる。 |
■心得まとめ
「どこにいても苦しみはある。だから、心を澄ませよ」
出家も難しく、在家もまた苦しい。
どこへ行こうと、誰といようと、完全な快適はない。
しかし、外を変えずとも、
心のあり方を変えることで、
人は苦しみの渦から抜け出せる。
答えは旅の果てにではなく、
気づきと静けさの中にある。
この偈は、仏教の「苦」の真理を極めて現実的に示したものです。
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