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■引用原文(『ダンマパダ』第二一章 第二九二偈)
なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。
――『ダンマパダ』 第二一章 第二九二偈
■逐語訳(一文ずつ訳す)
- 「なすべきことを、なおざりにし」
――本来果たすべき責務や修行、道義的な行為を怠り、 - 「なすべからざることをなす」
――本来してはならない行為(不善・悪行)に手を染め、 - 「遊びたわむれ放逸なる者どもには」
――享楽にふけり、気ままに生きる放縦な人々には、 - 「汚れが増す」
――内面の煩悩や罪業が積み重なり、心がますます濁っていく。
■用語解説
- なすべきこと(カッタヴァン):
倫理的責任、日常の務め、自己修養、他者への配慮など、本来果たすべき行為。 - なすべからざること:
欲望・怒り・欺瞞・怠慢など、避けるべき行為。不正、無責任、無自覚な行動も含む。 - 遊びたわむれ放逸(パーマッダ):
節度を失い、享楽や快楽に溺れ、心のコントロールを放棄した生き方。 - 汚れ(マラ):
煩悩・心の穢れ・悪しきカルマ。人格や魂の透明性を曇らせる原因。
■全体の現代語訳(まとめ)
やるべきことを怠り、してはならぬことに手を染め、放縦に生きる人々は、自分の内面にどんどん煩悩と苦しみを積み重ねてしまう。
怠惰と享楽は一見快適に見えても、心を鈍らせ、苦しみを生む根源となる――そのような真理をこの偈は教えている。
■解釈と現代的意義
この偈は「怠慢」と「誤った行動」が、いかにして人間の精神を蝕むかを明確に示しています。
現代社会では自己管理や時間管理が求められますが、目先の快楽や「ついラクだから」という選択が、やがて自分の信用や幸福を脅かしていくことは少なくありません。
放逸とは、外的な放縦よりも「内的な無関心」にこそ問題がある。だからこそ、自らの行為に意識的であることが、清らかな心を保つ鍵なのです。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
責任の放棄 | 与えられたタスクを後回しにし、気楽な作業や不要な会話ばかりしていると、周囲の信頼を失う。 |
セルフディシプリン | スマホやSNS、雑務に逃げることで、肝心の本業や意思決定力が鈍っていく。 |
管理職の資質 | 組織として「してはならない行為」を黙認するリーダーは、組織風土を汚染し、士気を落とす。 |
継続の価値 | 地味でも「やるべきこと」を淡々とやる人は、信用と実績を積み上げ、最終的に評価される存在となる。 |
■心得まとめ
「怠りと快楽に沈む者は、自らを蝕む」
心が汚れるのは、他人のせいではない。
やるべきことをやらず、してはならぬことに手を染める――
この二つが心を濁らせ、人生を曇らせていく。
自己律し、責任を果たす者のみが、透明な心と信頼を得られるのである。
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