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とらわれる心が苦を生み、手放す心が自由をもたらす


目次

📜 引用原文(日本語訳)

妄執から憂いが生じ、
妄執から恐れが生じる。
妄執を離れたならば、
憂いは存しない。どうして恐れることがあろうか。

—『ダンマパダ』第16章「愛するもの」第216偈


🔍 逐語訳

  • 妄執から憂いが生じ(upādānato jāyatī soko):妄執(とらわれ、執着)によって、心に悲しみや不満が生じる。
  • 妄執から恐れが生じ(upādānato jāyatī bhayaṃ):その執着の対象を失うことや壊れることへの恐れが生まれる。
  • 妄執を離れたならば(upādānaṃ pahāya):執着そのものを手放すことができれば、
  • 憂いは存在しない(natthi soko kuto bhayaṃ):憂いも恐れも起こることはない。

🧩 用語解説

  • 妄執(upādāna):誤ったとらわれ。対象に対する「こうあるべきだ」「手放せない」という固着した心の働き。仏教においては苦の直接的原因の一つ。
  • 憂い(soka):失望・不安・悲しみ。
  • 恐れ(bhaya):未来や変化への不安、自己の崩壊感。
  • 離れる(pahāya):断念し、距離をとり、手放すこと。

🧾 全体の現代語訳(まとめ)

私たちが何かに強くとらわれると、それが思い通りにならないときに深い悲しみや不安が生まれる。
しかしその「執着」そのものを手放すことができれば、憂いや恐れといった心の乱れは自然と消えていく。
安定した心は、状況を変えるよりも、自らのとらわれを超えることによって得られる。


🧠 解釈と現代的意義

この偈は、前節までの「愛・快楽・欲情」などへの執着をさらに深く掘り下げ、「妄執(upādāna)」——つまり思い込みや過剰な期待、コントロール欲求が苦の根本であることを明示します。
「この人でなければ」「このやり方が正しいはず」「こうであるべきだ」という執着は、自分を縛り、苦しめる最大の原因です。
状況や他人を変えようとするより、自らの“とらわれ”に気づいて解き放つことが、真の成長と心の自由への道です。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用例
🧠 思考の柔軟性「こうあるべき」にとらわれると、変化への対応力が下がり、組織や個人の進化を妨げる。
🎯 経営判断妄執は過去の成功体験や業界常識に基づく固定観念から生まれる。執着を捨てることで新たな戦略が見えてくる。
🤝 人間関係相手に「こうしてほしい」「分かってほしい」という妄執が強すぎると、関係に摩擦や失望を生む。
💬 マネジメント部下への過度な期待や評価の基準に執着するより、今ある姿を認め柔軟に導く方が信頼を得やすい。

🔑 心得まとめ

「変えるべきは他人ではなく、自分のとらわれである」

苦しみや恐れは、対象そのものからではなく、「それにしがみつく心」から生まれます。
この偈は、仏教における最も核心的な智慧を、簡潔かつ鋭く伝えています。
“執着を離れること”こそが、最も強く、最も自由な在り方なのです。


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