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📜引用原文(日本語訳)
わたくしは幾多の生涯にわたって、生死の流れを無益に経めぐって来た。
家屋の作者をさがしもとめて。
あの生涯、この生涯とくりかえすのは、苦しいことである。
(ダンマパダ 第十二章「自己」第153節)
🔍逐語訳
- わたくしは幾多の生涯にわたって、生死の流れを無益に経めぐって来た。
→ 私(ブッダ)は、過去無数の転生を重ねながら、輪廻という生死の海をさまよい続けてきた。 - 家屋の作者をさがしもとめて。
→ この「身心という家」を造り上げる原因(=執着や無明の根源)を探し続けていた。 - あの生涯、この生涯とくりかえすのは、苦しいことである。
→ 生まれては死に、生まれては死にを繰り返すことは、実に苦しみに満ちた体験である。
🧾用語解説
- 家屋の作者(gahakāraka):仏教的には、「我執」「無明」=輪廻を繰り返させる根源的原因の比喩。
- 生死の流れ(サンサーラ):誕生と死を繰り返す輪廻の連鎖。
- 無益に:真理に到達できず、悟りに至らないまま繰り返された空しき経験。
- 苦しいこと(ドゥッカ):仏教における根本真理の一つ。輪廻の根源的な苦しみ。
💬全体の現代語訳(まとめ)
私は無数の過去世をさまよいながら、
この「身体」という家を造り上げる根源を探してきた。
だが、どれだけ生まれ変わっても、その根源を突き止められず、
ただ苦しみを繰り返すだけだった。
それは空しく、苦しみに満ちた旅であった――と、仏陀は告白している。
🧠解釈と現代的意義
この節は、仏陀自身の覚醒前の苦悩と探求の歴史を語った、非常に重要な詩句です。
人は誰しも、「なぜ生まれ、なぜ苦しみ、なぜ死ぬのか」という問いを抱えながら生きています。
しかし、その答えを知らぬまま、人生を費やし、また同じ苦しみを繰り返してしまう。
仏陀は、その迷いを終わらせるために、
「我という幻想(家屋の作者)」を見つけ、壊すことが必要だと示しています。
この章句は、現代に生きる私たちにも、
**「自分はなぜこれを繰り返しているのか?」**という根本的な問いを突きつけてくれます。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
同じ失敗の繰り返し | 組織や個人が、根本原因を見ずに同じ問題を繰り返す姿は「輪廻」のようである。根源の見直しが必要。 |
自己理解の欠如 | 表層的な解決策ばかりに頼ると、本質的な問題(=家屋の作者)には到達できない。 |
パターン化された行動 | 習慣的・惰性的に繰り返す行動の背後にある「動機(欲・恐れ・慢心)」を探ることが成長につながる。 |
イノベーションの起点 | 現状の延長線ではなく、「なぜこうなっているのか?」という問いから新たな構造(家)を建て直すことが真の変革を生む。 |
📝心得まとめ
「問いなき者は、迷いの輪を断てぬ」
人生や仕事で、同じ悩みや問題を繰り返しているとき、
それは表層の課題ではなく、「家屋の作者」――すなわち内なる執着や思い込みに原因がある。
仏陀はそれを見つけ出すまで、幾度も生を繰り返し、苦しみ続けた。
だからこそ、我々もまた、
「なぜ、これを繰り返しているのか?」と問い直す勇気を持つことが、
輪廻から抜け出す第一歩となる。
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