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幸せを望むなら、他者の痛みに鈍感であってはならない


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■引用原文(日本語訳)

第一〇章 暴力(ダンダヴァッガ)第131偈

生きとし生ける者は幸せをもとめている。
もしも暴力によって生きものを害するならば、
その人は自分の幸せをもとめていても、
死後には幸せが得られない。

(『ダンマパダ』第131偈)


■逐語訳

  • 生きとし生ける者は幸せをもとめている:すべての生命ある存在は、心安らかで満ち足りた状態を求めている。
  • もしも暴力によって生きものを害するならば:仮にその者が行為によって他者を苦しめるならば、
  • その人は自分の幸せをもとめていても:たとえ本人は善果を願っていたとしても、
  • 死後には幸せが得られない:業(カルマ)の因果によって、その人には来世・死後に報いが訪れ、安楽には至らない。

■用語解説

  • 幸せ(スッカ):一時的な快楽ではなく、持続的な心の平安・安寧。仏教では「苦の消滅」こそが本当の幸せであるとされる。
  • 暴力によって害する(ヒンサヤ・パナム):身体的暴力に限らず、言葉・態度・制度などによって他者を傷つける行為すべて。
  • 死後の報い(パラローカ・ヒタン):仏教では業(カルマ)の法則により、行為の結果は来世や死後の世界にも影響を与えるとされる。

■全体の現代語訳(まとめ)

すべての生きものは、幸せになりたいと願っている。しかし、他者の苦しみや犠牲の上に自分の幸せを築こうとする者は、真の幸せには決して至ることができない。行為は、見返りや願いによってではなく、その内実によって結果を生む。暴力による幸せの追求は、自らの不幸の種を蒔くことに等しい。


■解釈と現代的意義

この偈は、「目的が正しければ手段は問わない」という考えを根本から否定します。どれだけ「幸福」や「成功」を求めていても、その手段が暴力的で他者を害するものであれば、最終的には自分をも害する――という因果応報の思想が明確に示されています。

現代においては、直接的な暴力よりも、「競争」「搾取」「無関心」といった形で他者の苦しみに鈍感になることが多くあります。しかしそれは、長期的には自分の幸福を蝕む因子となります。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
倫理なき成果主義への警鐘社員を犠牲にして売上だけを求める会社は、やがて信頼を失い崩壊する。短期的な利益より、健全な文化の方が持続的幸福に通じる。
搾取型ビジネスの危険性低賃金・環境破壊・情報操作などで成り立つビジネスモデルは、社会からの反発や内部崩壊を招き、自らの「幸せ」を失わせる。
個人の成長と行為の一貫性出世・成果を求めても、嘘・ごまかし・他者踏み台で進めば、その行為が自分の内面を荒ませ、心の平安から遠ざかる。

■心得まとめ

「他者の苦しみの上に、真の幸福は築けない」

仏陀はここで「手段の正しさこそが未来を決める」という真理を説いています。
自己の利益や成功を望むならばこそ、他者を傷つけないことが必要条件なのです。
たとえその場では得をしたように見えても、業(カルマ)の法則は、私たちの本当の価値と未来の幸福を決定します。

私たちは「幸せになりたい」と願うならば、誰かを不幸にしない生き方・働き方を選ばねばなりません。
それこそが、永続する信頼、豊かな心、そして真の成功への道なのです。


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