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■原文(日本語訳)
汚れの無い人、清くて咎のない人をそこなう者がいるならば、そのわざわいは、かえってその浅はかな人に至る。風にさからって細かい塵を投げると、(その人にもどって来る)ように。
(『ダンマパダ』第九章「悪」第125偈)
■逐語訳(一文ずつ訳)
- 汚れの無い人、清くて咎のない人をそこなう者がいるならば、
→ 清らかで誠実で、何の非もない人を害そうとする者がいるならば、 - そのわざわいは、かえってその浅はかな人に至る。
→ その悪意や害は、結局その愚かな本人に返ってくる。 - 風にさからって細かい塵を投げると、(その人にもどって来る)ように。
→ 向かい風に砂を投げると自分にかかるように、害意は自分に返るものである。
■用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
汚れの無い人 | 心が清く、悪意を持たず、正しく生きる者。 |
咎(とが)のない人 | 罪や過ちがない、責められるところのない人物。 |
そこなう | 傷つける、害を加える、評判を傷つけること。 |
わざわい | 不幸、報い、カルマの苦しみ。 |
風にさからって塵を投げる | 自分の行為が自分に返ってくることの比喩。因果の例え。 |
■全体の現代語訳(まとめ)
もし、心に咎のない清らかな人を害そうとする者がいれば、その行為は結局自分に災いとなって返ってくる。
それはまるで、向かい風の中で砂を投げたら自分の顔にかかるようなものである――悪意ある行動は、巡り巡って己の破滅を招くのだ。
■解釈と現代的意義
この偈は、「無実の人・善意の人を傷つけることの因果応報の厳しさ」を警告しています。
現代社会でも、妬み・嫉妬・陰口・中傷などにより、正しく生きる人が攻撃される場面がありますが、仏教は明言します――そうした悪意は、決して対象に深い傷を負わせることなく、最終的に加害者自身に返ってくる、と。
これは、“正しく生きる者は恐れる必要はない”という励ましでもあります。
■ビジネスにおける解釈と適用
テーマ | 応用解説 |
---|---|
正しい人への攻撃 | 正直で誠実な社員を陥れようとする行為は、組織内で必ず評判として返ってくる。 |
嫉妬と評価の歪み | 有能な人物を妬んで攻撃する人は、やがて信頼を失い、孤立する因果に陥る。 |
誠実なリーダーの防御 | クリーンな人物に対する誹謗中傷は、本質的に効力を持たない。むしろ攻撃者の人格が問われる。 |
組織文化の守り方 | 清らかで公正な人材を守ることは、組織全体の倫理水準を保つ基盤となる。 |
■心得まとめ
「他者を害すれば、自分が傷つく――それが因果の理」
悪意ある行為は、相手の心を汚す前に、まず自分の心を穢す。
そしてその結果は、まるで向かい風の中の砂のように、自分にかかって返ってくる。
正しき者に対してこそ、敬意と慎みを――それが、自他を守る最も賢い生き方である。
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