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因果は遅れてやって来る――いま良く見える道が、やがて禍を呼ぶこともある


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■原文(日本語訳)

まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。
(『ダンマパダ』第九章「悪」第119偈)


■逐語訳(一文ずつ訳)

  1. まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。
     → 悪事を働いた者であっても、しばらくの間は報いを受けず、一見順調に見えることがある。
  2. しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。
     → だが因果応報は必ず訪れ、時が来れば悪人は自ら蒔いた種の結果として災厄に見舞われる。

■用語解説

用語意味
悪の報い(アクのカルマの果報)過去の悪行に対する結果。悪意や不正、傷つけた行為が将来に生む苦しみ。
熟す因果の結果が成熟し、顕在化すること。時間差で訪れる。
幸運に遇う一見、成功や繁栄、順調な状況にあるように見えること。
わざわい(災い)に遇う不運、苦難、崩壊、後悔など、悪行の結果としてやってくる苦しみ。

■全体の現代語訳(まとめ)

悪事を働いた人でも、すぐに罰せられるとは限らない。むしろ一時的には幸運に見舞われることさえある。だが、それは「報いがまだ熟していないだけ」であって、時間とともに必ず結果は現れる。そしてその時には、悪人は必ず苦しみを受けることになる。
この偈は「因果応報の法則は、時差をもって働く」ことを私たちに教えている。


■解釈と現代的意義

現代社会では「短期的な成功」や「目先の利益」が強調されがちです。そのため、たとえ不正や横暴があっても、それがすぐに罰されないと「やった者勝ち」「勝てば官軍」という風潮が生まれやすい。
しかし、ブッダは明確に説いています――“今”よく見えても、それは報いが熟していないだけにすぎず、因果の蓄積は必ずその人を打つ、と。
だからこそ、私たちは「今の結果」ではなく、「行為の質」「心のあり方」を判断基準とすべきです。


■ビジネスにおける解釈と適用

テーマ応用解説
短期利益 vs 長期信頼不正な手段で利益を得ても、信頼は失われる。数年後にその報いを受ける可能性がある。
不誠実な成功の落とし穴他人を踏み台にした昇進や、虚偽の報告による成果は、のちに大きな代償を伴うことがある。
組織倫理とカルマ社内で一時的に称賛された行為でも、その裏に欺瞞があるなら、いずれ組織全体を揺るがす火種となる。
正直な人が損をしているように見えるとき正直や善意は報われるのが遅いだけ。長期的には必ず信頼と実績を育てる。見える成功だけを基準にしない姿勢が重要。

■心得まとめ

「今の姿に惑わされるな。因果は静かに、だが確実に育つ」

悪人が幸運に見えるのは、一時の幻影にすぎない。
善にも悪にも、果報の熟す“時”がある。その時を見越して、今の自分の在り方を整え続けること――それこそが真の智慧である。
因果は、忘れた頃に必ずやってくる。だからこそ、日々の行為に、誠実であれ。


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