目次
📜引用原文(日本語訳)
第七章 真人(しんにん) 九七偈
「何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人――かれこそ実に最上の人である。」
――『ダンマパダ』第七章 第97偈
🔍逐語訳と語句解説
語句 | 解説 |
---|---|
何ものかを信ずることなく | 外在の神や教義、形あるものに依存しない。盲信を離れ、自己の体験と智慧によって歩む姿勢。 |
作られざるもの(ニルヴァーナ) | 因果・生滅の法則に従わない、永遠不変の悟りの境地。 |
生死の絆を断ち | 輪廻から脱し、執着や業(カルマ)に縛られない自由な存在になること。 |
(善悪をなすに)よしなく | 善を求め、悪を避けるという二元的価値観を超え、ただ「自然にあるがまま」に行動する。 |
欲求を捨て去った人 | 欲・怒り・無知などの三毒を捨てた、心の静けさと清浄を得た者。 |
最上の人(ブラーフマナ) | 精神的完成を果たした聖者、真の意味で「真人」と呼ばれる存在。 |
🧠全体の現代語訳(まとめ)
何かに頼ることなく、真理を自らの体験で悟り、煩悩や輪廻の縛りから解き放たれ、善悪の評価を超え、すべての欲求を手放した者――そのような人こそが、もっとも優れた人である。
🌐解釈と現代的意義
この偈文は、「信仰ではなく体得」「評価ではなく本質」「欲望ではなく自由」を重んじる、究極の精神的成熟を語っています。
つまり、真に偉大な人とは、何にも依存せず、何にも囚われず、ただあるがままに生きる人なのです。
善悪を超えたというのは「倫理を無視する」という意味ではなく、動機において一切の自己中心性がないという意味です。
もはや「善いからやる」「悪いから避ける」という枠組みさえ不要な、自然体の人格がここに描かれています。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実務的応用 |
---|---|
原理主義や形式主義からの脱却 | マニュアルやルールに縛られるのではなく、本質を見抜き、柔軟に対応できる人物が求められる。 |
自立した判断力 | 他人の意見や「常識」に流されず、自分の知見と経験に基づいて選択できる人は、組織の柱となる。 |
動機の純化 | 評価されたい・怒られたくないといった打算ではなく、純粋な使命感や利他心で動ける人が、深く信頼される。 |
静かなリーダーシップ | 欲望から解放されている人は、競争や見せかけに巻き込まれず、ぶれないリーダーシップを発揮する。 |
🧘♀️心得まとめ
「信を越え、評価を越え、欲を越えて――ただそこに在る者は、最上の者である」
『ダンマパダ』第97偈は、精神的完成の形を描いています。
それは宗教や規則への依存ではなく、智慧と自己制御に裏打ちされた自由な生き方です。
ビジネスの現場でも、「上司が言うから」でも「褒められたいから」でもなく、本質を見抜いて行動できる人こそが、真に信頼されるのです。
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