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執着なき者は、この世にあっても、すでに自由である


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📖 引用原文(日本語訳)

覚りのよすがに心を正しくおさめ、
執著なく貪りをすてるのを喜び、
煩悩を滅ぼし尽くして輝く人は、
現世において全く束縛から解きほごされている。

——『ダンマパダ』第六章「賢い人」第89偈


🔍 逐語訳

  • 覚りのよすがに心を正しくおさめ:悟りに至る道(八正道など)を心のよりどころとし、それに従って思考・行動を整える。
  • 執著なく貪りをすてるのを喜び:欲望を手放すことに心の喜びを見出し、何にも執着しない。
  • 煩悩を滅ぼし尽くして輝く人:怒り、欲、無知などの心の汚れを完全に浄化し、光り輝く人格をもつ者。
  • 現世において全く束縛から解きほごされている:肉体をもってこの世に生きながら、すでに精神的には自由であり、何にも囚われていない。

🧾 用語解説

用語意味
覚りのよすが八正道や四諦など、悟りに至るための実践的道筋。仏教的修行の核心。
執著(しゅうじゃく)人や物、評価、欲などに心をとらわれること。
貪り(とん)もっと欲しい、もっと得たいという際限ない欲望。三毒の一つ。
煩悩の滅尽心を曇らせる根本原因を断ち切り、清らかな状態に至ること。
束縛から解きほごされる心が外的状況や内的欲望から完全に自由になっていること。涅槃の境地。

🌐 全体の現代語訳(まとめ)

悟りに至る道に従い、心を正しく整えている人は、貪欲や執着を喜んで手放し、煩悩を完全に滅し尽くしたとき、まばゆく輝く人格を獲得する。そうした人は、生きながらにして一切の束縛から解き放たれており、真に自由な存在となっている。


🧑‍🏫 解釈と現代的意義

この偈は、**「自由とは外的条件ではなく、内面の解放によって得られる」**という仏教の根本教義を表しています。地位や財産があっても心が縛られていれば不自由であり、逆に何も所有していなくても、欲望と執着を手放せた人は、まさにこの世で解脱しているのです。

これは現代において、情報過多・物質主義・競争社会に疲弊する私たちにとって、極めて重要な「精神の自由」の指針となります。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

テーマ解釈と応用
真の自律性外発的動機(評価・報酬)ではなく、内発的な原則・志を持つことで、他に左右されない働き方が可能になる。
執着を超えた意思決定利益、承認、成功に執着せず、「本当に正しいこと」を冷静に選べる人は組織の羅針盤となる。
リーダーの在り方人心掌握よりも「心を制する」ことを重んじるリーダーは、周囲に安心と尊敬をもたらす。
幸福と自由の再定義多くを持つことよりも、「少なくとも満ちている」内的自由が持続的な幸福を生む。

🧭 心得まとめ

「自由とは、何も持たないことではなく、何にも縛られないことである」

執着を手放し、欲望を超えた者の心は、静かに、しかし確かに輝く。外の世界がどうであれ、内なる世界が清められていれば、人はこの世で既に“彼岸”に立つ。賢者の輝きは、欲を捨てたその先に現れるのである。


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