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己の正義を強いる者は、真理を見失う


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■引用原文(日本語訳)

「これは、わたしのしたことである。在家の人々も出家した修行者たちも、ともにこのことを知れよ。
およそなすべきこととなすべからざることとについては、わたしの意に従え」
愚かな者はこのように思う。
こうして欲求と高慢とがたかまる。
——『ダンマパダ』第5章 第74偈


■逐語訳

  • 「これは、わたしのしたことである」:自分の功績や行動を誇示しようとする。
  • 「在家の人々も出家者も、これを知れ」:すべての人に認知され、評価されたいという欲望。
  • 「なすべきこと/なすべからざることは、私の意に従え」:自分の判断や価値観を他者に押しつけようとする。
  • 愚かな者はこのように思う:真理を知らず、自己中心的な心を持った者がこう考える。
  • こうして欲求と高慢とがたかまる:名声欲・支配欲・慢心がさらに膨れ上がり、自我が強化されていく。

■用語解説

  • 在家の人々(グリハスタ):家庭を持ち、世俗生活を営む人々。
  • 出家の修行者(サンニャーシン):世俗を離れ、修行の道を歩む僧侶。
  • なすべきこと/なすべからざること(カルマ・アカルマ):善悪・行動指針・規範の判断基準。
  • 高慢(マーナ):仏教において「我慢」「自我の過信」の代表的な煩悩。
  • 欲求(ターンハー):名誉欲・承認欲求・支配欲なども含まれる、根本的な煩悩。

■全体の現代語訳(まとめ)

愚かな者は、自分のした行為を誇り、それをすべての人に認めさせたいと強く望む。
「何が正しく、何が間違っているか」ということまで自分が決めたがり、
人々に自分の価値観を押しつけようとする。
このような思いが心にある限り、彼の中の欲望と慢心はますます増大し、
やがては自他を傷つける大きな障害となる。


■解釈と現代的意義

この偈は、「善行の背後にある誇りや支配欲」の危うさを警告しています。
どれほど善いことをしても、それを「見せたい」「認めさせたい」という心が強ければ、
それは善ではなく“自己顕示”に変質します。
さらに、それを基準に他人を裁いたり導こうとするなら、
もはや謙虚さも智慧も失われ、「修行者の仮面をかぶった愚者」となるのです。

この教えは、**「正しさの独占欲」**に警鐘を鳴らしており、
現代においては「正義中毒」や「承認欲求の暴走」といった社会課題にも通じるものです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
権威主義的リーダー「俺のやり方に従え」という上司は、チームの成長を妨げ、協調を壊す。
功績アピール実績を強調しすぎる者は、周囲からの反感を買いやすく、真の信頼を得られない。
道徳の押しつけ自分の価値観や“正義”を過度に押しつけると、多様性や創造性を阻害する。
自己顕示欲のリスクプレゼン・SNS発信・社内報告においても、「見せたい」動機が強すぎると、内容が空洞化し信頼を損なう。

■心得まとめ

「正しさを語るときほど、謙虚であれ」
真に善き人は、「認められたい」とは願わない。
行動が語るからである。
自分の価値観を押しつけることなく、静かに範を示す人にこそ、本当の尊敬は集まる。
正義や功績を盾にすればするほど、それは慢心となり、道を外す。
正しく在ろうとする心にこそ、真理は宿る。

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