MENU

近くにいても、心が閉じていれば智慧は染み込まない


目次

■引用原文(日本語訳)

愚かな者は生涯賢者につかえても、真理を知ることが無い。
匙が汁の味を知ることができないように。
——『ダンマパダ』第5章 第64偈


■逐語訳

  • 愚かな者は生涯賢者につかえても:無知な者がいくら賢者の近くで仕えていても、
  • 真理を知ることが無い:その人の教えの本質や精神には気づけない。
  • 匙が汁の味を知ることができないように:汁に浸っていても、スプーンそのものは味を感じられないことの比喩。

■用語解説

  • 愚かな者(バーラ):形式にとらわれ、受け身で思慮深さを欠いた人。
  • 賢者(パンディタ):真理を体得している人、あるいは導きを与える師。
  • 仕える:物理的に近くにいること、従事・付き従うこと。
  • 匙(さじ):食事を運ぶ道具。ここでは、汁の中にあっても味を感じない「道具的存在」の象徴。
  • 味を知る:体験・内省を通して本質を理解すること。

■全体の現代語訳(まとめ)

愚かな者は、たとえ一生を通して賢者に付き従い、身近にいたとしても、
その智慧の真の意味や真理の味わいを理解することはできない。
それはまるで、スープの中にずっと浸っているスプーンが、味そのものを何も感じ取れないようなものである。


■解釈と現代的意義

この偈は、「外面的な接触や付き従い」が「本質的な理解」につながるとは限らないことを示しています。
つまり、どれだけ立派な師や環境にいても、自らの内側に探求心・謙虚さ・気づきがなければ、
その恩恵を受け取ることはできない。
知識は“近くにいること”ではなく、“心で味わうこと”によって初めて意味を持つのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
OJT・研修優れた上司や制度があっても、学ぶ本人に主体性がなければ何も吸収できない。
メンタリングただ話を聞いているだけでは不十分。自分で問いを持ち、考え、実践しなければ知恵は定着しない。
組織文化優れた企業理念や方針があっても、社員が形式的に従っているだけでは浸透しない。
自己成長成長する環境に身を置くだけで満足せず、自ら「味わい」「咀嚼」する姿勢が不可欠である。

■心得まとめ

「教えは近くにある。だが、受け取る心がなければ、何も得られない」
ただ偉大な存在のそばにいることに安心せず、自らの心で学び、感じ、問い、咀嚼する姿勢が必要である。
環境や師の価値は、受け取る側の“器”によって決まる。
学びは自動的には起きない――学びたい者にしか、智慧は降りてこない。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次