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この身を泡と知る者は、死を超える


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■引用原文(日本語訳)

第四章 花 第四十六偈

この身は沫(あわ)のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、
悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへ行くであろう。
― 『ダンマパダ』第4章 第46偈


■逐語訳(一文ずつ)

  1. この身は沫(あわ)のごとくであると知り、
     → この身体は、水の泡のようにすぐに消える儚いものであると理解し、
  2. かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、
     → 蜃気楼(かげろう)のように実体のないものと見抜いたならば、
  3. 悪魔の花の矢を断ち切って、
     → 欲望という誘惑(マーラの投げる美しい矢)を断ち切り、
  4. 死王に見られないところへ行くであろう。
     → 死を司る閻魔(マーラ)に支配されることなく、彼の目の届かない境地(解脱)へと至るだろう。

■用語解説

  • 沫(あわ):一瞬で消える泡。肉体の無常と儚さの象徴。
  • かげろう:陽炎、蜃気楼のように実体がなく、つかめない存在。人生や欲望の幻影性を表す。
  • 悪魔の花の矢:マーラ(煩悩の象徴)が放つ誘惑の武器。甘美で魅力的に見えても、道を惑わせる危険な執着。
  • 死王(マーラ):死と欲望を司る存在。仏教においては、輪廻を繰り返させる元凶。
  • 見られないところ:解脱の境地。死の影響を受けない、悟りの静寂な状態。

■全体の現代語訳(まとめ)

人の身体は泡のように儚く、幻のように実体がないことを悟ったならば、欲望の誘惑(悪魔の矢)を断ち切り、死の支配を超えた境地に至ることができる――と仏陀は説いている。


■解釈と現代的意義

この偈は、「自己の儚さ(無常)」と向き合うことの重要性を教えています。身体や物質、地位や快楽に執着しても、それらはすべて泡や陽炎のようにすぐに消えてしまう。その真理を理解し、執着を手放すことが、生きる知恵と自由を生むのです。

現代社会においても、見せかけの成功や所有に囚われすぎず、自己の本質や心の自由に向き合うことが、長期的な安定や幸福への道となります。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
物質的成功の限界高給や地位に執着するだけでは、心の充実は得られない。儚いものであると知ることで、長期的視点を持てる。
冷静な判断力成功の幻影に惑わされず、実体のある価値(人間関係・信用・学び)を重視する姿勢が、持続可能な成果につながる。
メンタルマネジメント自分の不安や怒りが「泡のように一時的」であると理解することで、感情に巻き込まれず冷静さを保てる。

■心得まとめ

「人生の泡を見抜く者に、死は及ばない」

儚いものに執着せず、真に価値あるものに心を向ける者こそ、死と恐れを超えて自由に生きられる。その智慧が、現代の混迷を生き抜く力となる――それが仏陀の伝えるメッセージです。

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