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命ある今、この瞬間に目を覚ませ


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■引用原文(ダンマパダ 第三章 第41偈)

「ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう、意識を失い、無用の木片のように、投げ棄てられて。」
—『ダンマパダ』 第3章 第41偈(中村元訳ほか)


■逐語訳(一文ずつ)

  • ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう:この身体はやがて死を迎え、大地に伏すことになるだろう。
  • 意識を失い:生命の活動は止まり、心も感覚も消える。
  • 無用の木片のように:もう役立つこともなく、ただの物体となって。
  • 投げ棄てられて:誰かに顧みられることもなく、捨てられるように死体は朽ちてゆく。

■用語解説

用語解説
身(カーラ)肉体、物質としての自我の容れ物。
意識を失い(ヴィニャーナヴィヒーナ)意識・知覚・感情など、精神的な活動が完全に停止した状態。
無用の木片(カッシタカ)もう役に立たない棒切れのような存在という意味の比喩。
投げ棄てられて(パリッチッタ)放置され、無関心のうちに忘れ去られるさま。

■全体の現代語訳(まとめ)

やがてこの身体は力を失い、意識を喪い、まるで役に立たない木の棒のように大地に横たわるだろう。どれだけ立派な地位や見た目であっても、死の前では何の価値も持たない。それが生命の本質である。


■解釈と現代的意義

この偈は、「死という絶対的な現実」を正面から突きつけます。しかしそれは、悲観のためではなく、「今をどう生きるか」を問い直すための警句です。

現代社会は死を遠ざけ、健康や若さ、美しさを追い求めがちですが、それらはすべて有限であり、最終的には消えるものです。だからこそ、身体や所有物に執着するのではなく、限られた命の時間を「何に使うか」「どのように生きるか」が問われているのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
有限性の認識時間も身体も限りある資源。だからこそ「何に使うか」の優先順位づけが重要になる。
肩書き・所有の相対化地位・物・成功も、死とともにすべてが消える。真に残るのは「どう生きたか」である。
使命意識の目覚め自分の仕事が誰にどう貢献しているか、人生の目的と重ねて考える視点が必要。
自己と向き合う時間の確保忙しさに追われず、命の有限性を受け止める静かな時間が、真の方向性を示す。

■心得まとめ

「死を見つめる者だけが、真に生を選べる」

私たちの肉体は、いつか必ず朽ちていく。そのとき、栄光も財産も名声もすべては消える。だが、「どう生きたか」「何に心を傾けたか」は、死すらも超えて意味を持つ。だからこそ、今この瞬間を、自分の使命に忠実に、目覚めて生きることが何よりも大切なのだ。


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