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引用原文(『ダンマパダ』第一章 第二十偈)
たとえためになることを少ししか語らないにしても、
理法にしたがって実践し、
情欲と怒りと迷妄とを捨てて、
正しく気をつけていて、
心が解脱して、執著することの無い人は、
修行者の部類に入る。
――『ダンマパダ』 第一章 第二十偈
🔍 逐語訳
- たとえ真理を少ししか語らない者でも、
- 教え(法)に基づいて日々実践し、
- 欲望・怒り・無知(迷い)を捨て、
- 常に注意深く、心を正しく保ち、
- 心が解放され、物事への執着を離れているならば、
- その人こそ、真に修行者と呼ばれるにふさわしい。
📘 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
ためになること | 真理、法(ダンマ)。内面を浄化し、解脱へ導く言葉や教え。 |
理法(ダンマ)にしたがって | 仏教の教えに沿い、言行一致で日常を律すること。教えを生きること。 |
情欲・怒り・迷妄 | 煩悩(三毒)の代表。欲望・怒り・無知(無明)。解脱を妨げる心の汚れ。 |
解脱(ヴィムッティ) | 煩悩や苦からの完全な自由。悟りの境地。 |
執著(アーサヴァ) | 物事への固執、こだわり。心を縛る執念。解脱にはこれを手放すことが必要。 |
🧾 全体の現代語訳(まとめ)
たとえ多くを語らず、知識をひけらかさないとしても、
日々の行動が仏の教えに従い、欲・怒り・無知といった煩悩を手放し、
いつも注意深く心を保ち、物事に執着しない境地にある人こそ、
本当の意味で「修行者」と言える存在である。
語ることより、生き方こそが悟りの証である。
🧠 解釈と現代的意義
この偈は、第十九偈(「語るだけでは修行者ではない」)と対になり、
**「実践こそがすべて」**であるという仏教の核心を教えています。
現代においても、話術や知識は評価されやすい一方で、
実際に行動し、誠実に生きる人は少なくなりがちです。
本当の信頼や尊敬は、口ではなく、行いから生まれる――それがこの偈の教えです。
💼 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
リーダーの資質 | スピーチのうまさよりも、行動で示すリーダーが組織に安心と信頼を与える。 |
倫理経営と模範行動 | ビジョンや理念を掲げるよりも、それを日々実行しているかが企業価値を左右する。 |
評価の観点 | 実際に人を動かし、誠実な振る舞いをしている人を正当に評価する文化が、組織の健全性を育てる。 |
自己成長の本質 | 知識を蓄積するよりも、それを一歩ずつでも「生きること」に反映させる姿勢が、成長と成熟の本質である。 |
🪷 心得まとめ
「少なく語っても、深く実践する者が、本当の修行者である」
言葉で飾らずとも、
欲と怒りと無知を捨て、誠実に行動し、
執着を離れて自由に生きる者こそ、
真理を体現する者である。
これにて『ダンマパダ』第一章(双句品)の締めくくり偈となります。
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