一、章句(原文・抄)
我等は親七十歳の子にて、塩売になりとも呉れ申すべしと申し候処…
若年の時分より、奉公の至極は、主に諫言して国家を治むる事なり。下の方にぐどつき廻りては益に立たず。然れば家老になるが奉公の至極なり…
かくの如く罷成り候。本意は遂げず候へども、しかと本意を遂げ申し候事…
思立つと本望を遂ぐるものに候。…奥底なく不思議の因縁にて、山家の閑談、他事無く有体話し申し候。
二、現代語訳(要約)
私は父が七十歳のときの子で、生まれた当初は「塩売りにでもくれてやろう」とさえ言われた存在だった。だが、父の忠勤を見ていた重臣が取りなしてくれたことで、家に残り、光茂公に小僧として召し使われることになった。
少年時代は悪童で、いたずらの限りを尽くした。13歳で髪を立て、14歳で出仕し、名を市十と改め、のちに元服して「権之丞」となった。
奉公の途中、出世のきっかけもあったが、逆に役目を外され、心が折れそうな時期も経験した。親戚の情けで扶持を得たものの、それでは不本意だと感じ、「本当に奉公とは何か」を求めて悩み、修行を重ねた。
古老の教えに「立身出世を求めるのも、求めないのも、ともに不忠である」という言葉があり、その意味を深く考え、「奉公の極みとは、主君に諫言し政治を支えることだ」と悟った。つまり、それは家老になることだと考えた。
「出世は私利ではなく奉公のため」という覚悟をもって修行に励み、「角蔵流」と称して心身を鍛えたが、志半ばで主君が逝去し、本望は遂げられなかった。だが、その中で違う形での本望を果たしたともいえる。
思いを定めて行動すれば、人は必ず本望を遂げられる。ただし、自慢すればその成果も台無しになる――と私は『愚見集』にも記した。
これは高慢な語りではない。不思議な因縁の中で、自分のありのままを語っただけのことである。
三、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
奉公 | 主君に仕えること。ここでは「人生を捧げる働き方」として用いられる。 |
角蔵流 | 自己流の修行法。体力・精神力・思想の鍛錬を示す。 |
小身者 | 身分・役職が低い者。 |
名利 | 出世や評判など、外形的な成功。 |
愚見集 | 常朝の考えを記した書。『葉隠』の一部と重なる思想を含む。 |
四、全体の現代語訳(まとめ)
山本常朝は、自らの出自と不遇の幼少期、奉公生活における挫折と苦悩、そして志の確立と、達成できなかった本望――すべてを「不思議な因縁」として静かに受け入れている。
「家老になる」という立身出世は果たせなかったが、それに匹敵する誠と覚悟をもって生き抜いたことを、自らの奉公の本望と位置づけている。
そしてその成果を誇らず、「自慢は天罰を招く」として慎みを保ちつつ、自分の人生を受け入れる姿勢が、深い人間の美学としてにじみ出ている。
五、解釈と現代的意義
1. 志ある出世は「私利」ではなく「使命」
常朝がたどり着いたのは、「出世は奉公の手段」であるという思想。「目的ではなく、手段としての地位」こそが、現代のリーダーにも必要な覚悟です。
2. 不遇も「因縁」として受け入れる智慧
幼少期の屈辱、奉公の中断、出世の挫折――それらすべてを「縁」として受け止める常朝の姿は、現代においても人生の不確かさに対する深い態度を教えてくれます。
3. “語られるべき物語”ではなく“黙して伝わる姿勢”
自己の行動や信念を語りながらも、最後は「ただありのままを語っただけ」と締めくくる謙虚さ。これは現代人にも求められる「背中で語る」スタンスです。
六、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)
項目 | 解釈・適用例 |
---|---|
リーダーシップ | 出世を目指すのではなく、組織を良くするために上に立とうとする姿勢が真のリーダー。 |
キャリア形成 | 挫折や停滞を経ても、ぶれない志を持つことが、長期的な成就に通じる。 |
人材育成 | 若手に対して、「出世とは何か」「志とは何か」を語れる上司・先輩の存在は非常に大きい。 |
評価と慎み | 成果を誇らず、すべてを因縁と受け止める姿勢が、長く信頼される人間像につながる。 |
七、心得まとめ
- 志があれば、出世を果たせずとも、本望を遂げることはできる。
- 出世とは、自分のためではなく、組織と主君のためにあるべきものである。
- 人生のすべてを「因縁」として受け入れることで、人は静かに尊厳を保つことができる。
- 語らずとも、覚悟と修行は行動でにじみ出る。それが角蔵流の生き方。
- 最後に残るのは、「誇らぬ誠」「語らぬ志」である。
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