一、章句(原文)
今にてもあれ、お家一大事の出来候時は進み出で、一人も先にはやるまじきものをと存じ候へば、いつにても落涙仕り候。今は何事も入らず、死人同然と思ひて万事捨て果て候へども、この一事は若年の時分より、骨髄に徹り思ひ込み候故なり。
二、現代語訳(逐語)
今でも、もしお家に一大事が起きたとしたら、我先に駆けつけて出て行くつもりである。
誰よりも先に動く者でありたいという気持ちがあるため、思い浮かべるたびに涙があふれ、胸がいっぱいになる。
今では何の欲もなく、死人同然の気持ちで万事を捨ててしまったが、この一事――お家のために身を捧げるという志だけは、若い頃から骨の髄まで染み込んでおり、忘れようにも忘れられない。
まったく、「我一人ならでは」と思ってしまうのだ。
家老や家中の者たちは、なぜここまでお家のことを思ってくれないのだろうか。
三、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
お家一大事 | 藩や主家に関わる重大な危機や存亡の事態。 |
万事捨て果て候 | 世俗の欲や役目をすべて放棄したという覚悟。 |
骨髄に徹り | 心身の奥底にまで染み込んでいること。習慣や感情のレベルではなく、本質的なもの。 |
益体もない | 無益で愚か。ここでは「感情が抑えきれない自分」に対する照れや自嘲の表現。 |
四、全体の現代語訳(まとめ)
隠遁して俗世を離れ、「死人同然」と心を決めていた常朝だが、藩に関わる一大事を想像するだけで、どうにも胸が熱くなり涙がこぼれてしまう。
その想いは若いころから骨の髄にまで染みついていて、忘れようとしても忘れられない。
「もし何かあったとき、自分こそが真っ先に動かねばならない」という責任感と忠義の情が、老いてもなお消えることはなかった。
五、解釈と現代的意義
1. 引退しても消えぬ志
常朝はすでに奉公を離れた「死人同然」の身でありながらも、「お家のために命を捧げる覚悟」がなお消えず、むしろ時を経て一層純化されている。この心のあり方は、現代において「職を離れた後の生きがい」や「理念の継承」として読み替えることができます。
2. 本物の忠義は、感情を超えて体質化する
単なる忠誠心ではなく、「骨髄に徹る」ほどの思い。このレベルに達した忠義は、役職や場面に依存せず、自動的に心身を動かす「生き方の軸」となります。
3. 涙する情熱の価値
老いても涙するほどの思いがあるということは、それが常朝にとって「自己存在そのもの」だったということ。
情熱とは「燃えているうち」だけが価値ではなく、「燃え尽きぬ火種」としての継続にも深い意味があるのです。
六、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)
項目 | 解釈・適用例 |
---|---|
組織文化の継承 | 一線を退いた者の「想い」が残っている組織は強い。理念の火種は次世代に伝えるべき。 |
本気のリーダーシップ | 「これは私の使命だ」と胸を張って言える仕事があるか?それが人生を支える軸になる。 |
感情の価値 | 涙が出るほどの情熱は、理屈ではつくれない。部下や後輩に「情で語れるリーダー」は尊敬される。 |
シニアの役割 | 引退後も「自分が黙って見ていられないこと」があるなら、そこにこそ役割と貢献の余地がある。 |
七、心得まとめ
- 忠義とは、任務を終えてもなお燃え残る「骨の火」である。
- 志とは、燃える情熱ではなく、燃え尽きない残熱である。
- 人生の最後に残るのは「何に涙できるか」であり、それがあなたの価値の証明である。
- 老いてなお進み出ようとする心を持つ者こそ、真に強き人。
- 組織や家庭、社会において、「引退後も心を動かされるもの」がある人は、周囲にとってかけがえのない存在である。
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