一、原文(抄)
御薬役来女相勤め、御臨終の時お薬道具打砕き、御印役喜左衛門光茂公御前にて御印を打割り申し候。
両人にてお行水相仕舞ひお棺に入れ奉り、差俯向き泣入り罷在り候。
ふと起上り、「殿は一人お越なされ候に、一刻も追付き申すべし」と…
「さらばにて御座候」と申して罷通り候。…
来女は小屋に帰り、…目覚め候てより、「枝吉利左衛門餞別の毛離敷き候へ」と申付、…追腹。
杢之助常に持ち申され候扇、歌一首あり。
をしまるるとき散りてこそ世の中の 花もはななれ人もひとなれ
二、現代語訳(まとめ)
勝茂公が逝去された瞬間、忠臣たちは静かに、だが毅然と覚悟の道を選んだ。
・鍋島来女はお薬役として臨終の場に居合わせ、その場で薬道具を打ち砕いた。
・志波喜左衛門も印役として、御前で主君の印判を打ち割った。
二人は最後の務めとして、ご遺体を清め納棺したあと、長らく泣き伏せていたが、やがて立ち上がり、
「殿はお一人で旅立たれた。一刻も早く追いつこうではないか」と口をそろえて言った。
表座敷に出て、居並ぶ諸士に向かって深々と手をつき、
「これにてお別れいたします」と挨拶して通り過ぎた。
だれも止めることはできず、剛勇で知られた多久美作守でさえ涙して、
「ああ、曲者(くせもの)だわい」と呟くのみだった。
二人に中野杢之助を加えた三名は、かねてより申し合わせた通り殉死を遂げた。
三、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
来女(うねめ) | 鍋島家の家臣で、薬を管理・処方する役目「御薬役」。 |
喜左衛門 | 印章を管理する「御印役」。藩主の代理印として重要な職。 |
毛離(けおし) | 獣毛を織り込んだ高級敷物。贈答品や格式ある場で用いられる。 |
介錯(かいしゃく) | 切腹者の苦痛を減らすために首をはねる介助。 |
曲者 | 「ただ者ではない」「一風変わった傑物」の意としてここでは用いられている。 |
四、解釈と現代的意義
■ 「忠臣の最期は、静かにして劇的」
来女・喜左衛門・杢之助の三名は、主君への忠義を最後の行動で証明した。
薬道具や印判を壊すという行為は、役目の終焉と己の命をもって責任を果たす決意の象徴だった。
■ 儀式と美学の極致
最後の挨拶も整然としており、「さらば」と一言述べたのみで通り抜ける姿には、
武士道の簡素・無言の美学がにじんでいる。
■ 忠義とは、損得でなく「納得」によって動くもの
三人は家老や他の藩士の制止を受けず、自らの信じる道を歩んだ。
その決意は他者に説明不要で、ただ“静かに行う”ことに意味があった。
五、ビジネスへの応用・教訓
教訓 | 現代の応用例 |
---|---|
本気のコミットメントは行動で示す | 「やります」ではなく、自らの責任で行動に移す人材こそ信頼される。 |
終わりの美学を持つ | プロジェクトの離任、退職、契約終了時に、美しい締め方を心がけることが、次への信頼につながる。 |
絆のある協働は、生涯の価値となる | 一緒に「殉死」を誓えるような関係性を持った仲間との仕事は、生涯の資産となる。 |
六、扇に残された辞世の歌
をしまるるとき散りてこそ世の中の 花もはななれ人もひとなれ
(散る時をもって花は花となり、人は人となる)
この一首が、命の終わりにこそ本質が現れるという武士の覚悟と美意識を象徴しています。
✅結びの心得
「義」は声高に語られるものではなく、沈黙と決断で貫かれるもの。
別れの挨拶一つで、すべてを悟らせる人間に、真の敬意が集まる。
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