一、原文引用(抄)
勝茂公御病気差重られ候時分、光茂公へ志波喜左衛門申上げ候は、
「私儀はかねて御供のお約束申上げ候。御本復不定にお見え遊ばされ候間、
御命代りにお先に腹を仕り、自然御本復の儀も御座あるべく候やと存じ奉り候。
いづれ御供仕る儀に候間、差許され候様に」と申上げ候に付、
増上寺方丈へ、「命代り申す事御座候や」とお尋ねに遣はされ候処、
「かつて罷成らざるものに候。大切の士おかこひなされ候様に」と申し来り、
差留められ候。
その忠心御感遊ばされ、子ども疎かになさるまじき由、御自筆の御書下され、
今に子孫持ち伝へ候由。
二、現代語訳(まとめ)
勝茂公の病が重くなったとき、家臣の**志波喜左衛門(しわ きざえもん)**は、
その子である光茂公に申し出た。
「私はかねてから、殿に殉ずるとお約束しております。
もし殿が回復なさらぬようなら、私が命を先に捧げれば、代わりに快癒されるかもしれません。
どうか、先立っての追腹をお許しください。」
光茂公は、これを正式に増上寺の和尚に問いただしたところ、
「命の代わりとして切腹するのは、前例もなく許されない。忠臣ゆえにこそ大事にすべきだ」との返答があり、志波の申し出は却下された。
しかし光茂公はその忠誠心に深く感動し、
「その子孫は決して疎かにしない」との直筆の書状を志波家に贈った。
この書状は、現代に至るまで志波家に伝わっているという。
三、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
勝茂公 | 鍋島勝茂。鍋島藩の初代藩主。 |
光茂公 | 鍋島光茂。勝茂の嫡子で二代藩主。山本常朝が仕えた主君でもある。 |
志波喜左衛門 | 鍋島家臣。勝茂に殉ずる決意を持っていた忠義の士。 |
追腹(ついばら) | 主君の死に殉じて切腹する行為。殉死とも。 |
増上寺 | 浄土宗の大本山。江戸時代、大名家の菩提寺でもあった。 |
四、解釈と現代的意義
■ 命がけの「代行的忠誠」
志波喜左衛門の申し出は、主君の死を待たずに「身をもって病を祓う」という、
まさに命を賭けた忠義だった。ここには、「自分の死で何かを救おうとする崇高な意思」が感じられる。
現代では、物理的に命を捧げることは不要だが、
「自分の犠牲によって相手や組織を救いたい」と願う気持ちは今も通じる。
■ 忠義と合理性の調和
この話で重要なのは、忠義が感動的であると同時に、制度的には却下されたという点。
つまり、「志は尊重するが、組織として許容できる範囲は守る」という理性と感情のバランスが保たれている。
組織においても、個人の熱意と制度設計の両立が重要であるという教訓となる。
■ 忠義は「人のため」だけでなく「未来のため」
光茂公が志波の忠誠に応じて出した書状は、子孫に対する約束でもあった。
一代限りではない「忠義の継承」こそ、武士道の精髄である。
これを現代に引き直すと、信頼の言葉や推薦、契約を未来世代にまで責任をもって残すことと言える。
五、ビジネスにおける応用・示唆
教訓 | 現代ビジネスへの応用 |
---|---|
忠義は先駆けるもの | 組織が危機のときに、誰よりも早く行動・提言する「先陣型のリーダーシップ」 |
自発的な覚悟 | 上からの命令ではなく、自らの信念で動く社員がチームの柱となる |
忠誠の証は次世代へ | 良い関係性は、契約・推薦・紹介などで後輩や家族にも恩を残す |
六、心得の結び:「忠義は、先に立つ心にあり」
志波喜左衛門は、主君の死を待つまでもなく、
「この身をもって病魔を祓う」という願いで命を賭そうとした。
忠とは命を捧げることにあらず、
その想いをもって主君を生かそうとすることにある。
この精神が、武士道を現代に生かす鍵となるのではないでしょうか。
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