一、原文引用(抄)
安芸殿死去の時、組家中十八人、内組衆二人追腹仕り候に付て、
御家老衆より、殿様を差置き、寄親の供仕る事然るべからざるの由、しきりに差留められ候。
組中の者申し候は、
「先年人院一戦の時、主水殿組の内選び取りと候に付て、我々を安芸殿選び出され候。
八院にて同じ枕に死に申すべく候と申しかはし候。その時は安芸殿討死なく候故、
我々ただ今までながらへ候。武士たる者が、同じ枕と申し交し、一日も跡に残り申すべきや」
と申し候て、追腹仕り候由。
十八人また供四人の位牌、妙玉寺にあり。
二、現代語訳(まとめ)
鍋島家の重臣であり大組頭の**安芸守茂賢(あきのかみ・しげかた)**が死去した際、
その配下十八名(うち二人は正式な藩士、残りは陪臣も含む)が、追腹を願い出た。
家老たちは「大名ではなく、組頭の後を追うのは不相応である」としてこれを制止したが、
彼らは「八ノ院の合戦の折、命をかけて枕を並べて死ぬと誓ったのだ」として、
ついに翻意せず、**全員が殉死(追腹)**した。
十八人のほか、供回りの四人の位牌も、佐賀市の妙玉寺に安置されているという。
三、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
安芸殿 | 鍋島安芸守茂賢。鍋島家の有力な譜代重臣で、大組頭。勝茂の姻戚。 |
主水殿(もんどどの) | 茂賢の兄、茂里とされる。兄の組から安芸が人員を選び出した。 |
八ノ院の合戦 | 関ヶ原の役における支戦。柳川城攻めで立花宗茂軍と鍋島軍が激突。 |
寄親 | 中堅以下の家臣を統率する中核的上級武士。ここでは安芸殿を指す。 |
同じ枕 | 「同じ戦場で死ぬ」ことの比喩。生死を共にする誓い。 |
妙玉寺 | 現在の佐賀県佐賀市にある寺院。追腹者の位牌が祀られている。 |
四、解釈と現代的意義
■ 生死を共にすると誓った「同じ枕」の契約
追腹した者たちは、安芸殿が生きていた頃、「共に死のう」と誓った。
その誓いは、時を経てもなお彼らの行動原理であり続けた。
たとえ主君の死ではなくても、その人への信頼・忠誠・約束が行動を規定した。
現代の組織においても、「信じてついていく人」との関係性は、行動の源泉となる。
■ 上官=主君を超えた忠誠の対象
当時、「殿様の死に殉じること」はある種の美徳だったが、
この件ではあくまで中間管理職的存在(安芸殿)に殉じた点が特筆される。
ここには、武士が「忠義を尽くす対象」を自己判断していたことが示されている。
形式より実質、人間関係の深さを優先した忠義が貫かれている。
■ 忠義とは、強制ではなく自発である
この十八人は、誰に命じられるでもなく、自らの「約束」「信念」に殉じた。
ここには『葉隠』が説く「死に場所は自ら選ぶもの」という思想がある。
これは現代で言えば、「自分の信じる価値のためにリスクを取る」働き方や、
「誰に命じられるでもなく動く」自律的なプロフェッショナリズムに通じる。
五、ビジネスにおける応用・示唆
伝統的教訓 | 現代の応用例 |
---|---|
同じ戦場で死のうと誓った | 共に立ち上げたプロジェクトや創業期のチームに最後まで責任を持つ覚悟 |
形式を超えた忠義 | 上司や先輩に対する尊敬や信頼が、行動や継続の動機になる |
役職よりも人への忠誠 | 「この人のためなら」と思わせるリーダーシップと人間関係の重要性 |
誓いを貫く姿勢 | 約束や決断を時間が経っても大切にする一貫性 |
六、心得の結び:「約束は、命に代えても守る」
武士たちは、たとえ形式的に主君ではない存在であっても、
「枕を並べる」と誓ったその人の死に、自らの死で報いた。
約束したことを、果たさずに生き延びるのは恥である。
武士とは、言葉に命を乗せる生き方である。
この追腹事件は、『葉隠』的忠義の中でも稀有な、「形式と倫理のせめぎ合い」を超えた実践です。
コメント