一、原文引用(抄)
肥前様追腹。林形左衛門は肥前様(忠直)ご存命のうち、お側に適任者がいないとのことで御所望があり、江戸屋敷に罷り登る支度をしていた。
その最中に、御死去の報が届いた。一日も仕えることはなかったが、
数百人の家中からとくに望まれたことは、身に余る光栄として、
忠直様の弟・直弘様に止められたにもかかわらず承知せず、追腹した。
二、現代語訳(要約)
林形左衛門は、鍋島家の世子・忠直公から側近としての召しを受け、江戸に向かう準備中であった。
まだ一度も忠直に仕えていない状態で、忠直の訃報が届く。
彼は「数百人の中から選ばれた」ことを自らへの最大の恩と感じ、
たとえ実際の奉公の機会がなかったとしても、その志に殉じようと決意する。
忠直の弟・直弘が引き止めたが、左衛門はそれを受け入れず、追腹を遂げた。
三、用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
肥前様 | 鍋島忠直。鍋島勝茂の世子(嗣子)で、若くして没した。 |
山城殿 | 鍋島直弘。忠直の弟。林形左衛門を止めようとした人物。 |
御家中 | 藩士たちのこと。ここでは藩に仕える数百人の武士たちを指す。 |
帰化朝鮮人 | 林形左衛門は、朝鮮から帰化した林栄久の次子であり、鍋島家に仕えた高士。 |
四、全体の現代語訳(まとめ)
林形左衛門は、まだ一日も仕えたことのない忠直から「お側に」と特別に呼ばれた。
そのただ一度の召しが、彼にとっては命を投げ出すに足る最大の名誉であり、忠誠の起点だった。
忠直の死後、弟の直弘から再三の慰留を受けたにもかかわらず、
彼はそれを「志に反する」として、潔く腹を切った。
五、解釈と現代的意義
■ 「召し出された」ことそのものが、すでに忠義の契約
形左衛門にとって、「命じられてから仕える」のではなく、「命じられた時点」で忠誠は完成していた。
これこそが『葉隠』に象徴される「死ぬことと見つけたり」の体現である。
■ 恩に報いるという倫理観
形左衛門は、他の誰でもない「自分が選ばれた」ことに対して、恩義を強く感じた。
その感情は、現代においても重要なエンゲージメントの源泉である。
■ 実績ではなく志で価値を決める
たとえ仕える前であっても、「忠直様の近習として選ばれた」という意義そのものが人生の価値を決定づけた。
これは現代でいえば、「まだ成果を出していない立場でも、志と信頼に報いる覚悟があるか」が問われているとも言える。
■ 帰化人であっても藩士として忠義を尽くす
林形左衛門は、朝鮮から帰化した林栄久の次子である。
鍋島藩の開明性と、「血」ではなく「志」で人を見る風土も、この逸話から読み取れる。
六、ビジネスにおける適用(個別解説)
項目 | 現代的示唆 |
---|---|
オファーの重み | 組織から声がかかること自体が、その人への信頼と期待の証。受けた側はそれに応えようとする意識が重要。 |
志を動機とする働き方 | 報酬や実績がない状態でも、「選ばれたこと自体を栄誉とする」働き方は、深いモチベーションと責任感につながる。 |
倫理の内面化 | 外からの評価で動くのではなく、自らが決めた「恩義」「志」「覚悟」で行動する姿勢が、信頼を集める。 |
多様な出自の尊重 | 帰化人の出自であっても、忠義と行動が認められる風土が、組織の広がりと強さにつながる。 |
七、心得の結び:「召された瞬間、忠義は始まる」
林形左衛門は、「仕える前」であっても、自分が選ばれた意味を重く受け止めた。
それは、実績でも肩書きでもない、心の契約だった。
「信頼されたこと」が、その人の忠義の始まりである。
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