一、原文の引用(抄)
鍋島次郎右衛門は、光茂公の高伝寺参詣にお供したとき、主君の眼前で小便をしたかどで切腹を仰せつけられた。
常朝は進言した:
「その処断、四段の措置をもって臨むべし」
- 世の悪評を招くので、取り上げてはならぬ。
- 本人に言い訳をさせ、不問に付すべし。
- 先祖の功績を持ち出し、減刑を図るべし。
- どうしても不可なら、はじめて切腹を認めるべし。
―― しかし進言は容れられず、元禄六年、鍋島次郎右衛門は切腹となった。
二、現代語訳(逐語)
- 鍋島次郎右衛門が、藩主光茂の参詣に随行した際、眼前で失禁したという罪で切腹を命じられた。
- 常朝は、直接の処罰ではなく、次の四段階で対応すべきと進言:
- 沙汰そのものを立てないこと(黙殺)
- 本人に言い訳をさせ、それを認めること(形だけの調査)
- 過去の忠功を挙げて減刑に持ち込む(情状酌量)
- それでも不首尾なら、はじめて処罰を受け入れる
- しかしその進言は退けられ、次郎右衛門は自刃に至った。
三、用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
高伝寺 | 鍋島家の菩提寺。参詣は藩主の公的儀礼の一部。 |
失禁(小便) | 当時の礼儀・格式上、主君の前でのそれは大不敬とされた。 |
四段構え | 常朝が提言した、処断を回避するための論理的段階的対応。 |
島原の乱/天草四郎 | 幕末の一大反乱であり、忠功として藩にとって重要な軍功だった。 |
同意申上げらるべき事なり | 最終段階で初めて、正式な処罰を受け入れるべきという意味。 |
四、全体の現代語訳(まとめ)
鍋島次郎右衛門は、公の場での不手際を咎められ切腹を命じられたが、その過程には過剰な形式主義が見られた。
常朝は、処断を軽んじずとも、人の情と道理、さらには家臣の功績や体面を加味して、処罰に慎重であるべきだと四段階の「進言」を行った。
しかしそれは容れられず、かえって藩政への悪評と、人を失う損失を招いた。
五、解釈と現代的意義
■「罪」よりも「処し方」が人と組織を量る
常朝の進言は、単なる情実ではない。
**組織の信頼・人材・歴史を守る「道理の体系」**である。
小便という失態は「非礼」であれど、即死をもって償わせるほどのものか?という問いがそこにある。
■形式的秩序が人を殺す
元禄という泰平の世において、戦国期の柔軟さや武断の気風は薄れ、形式と体面だけが残った。
その象徴が、この切腹命令である。
礼儀が人を殺す社会は、誤った秩序の象徴でもある。
■組織における「赦し」の仕組み
常朝が説くように、過ちに対して即時・即罰ではなく、
- 見逃す
- 弁明を許す
- 過去の功績を考慮する
といった「赦しの構造」が組織には必要である。
これは、現代で言えば「懲戒処分の妥当性」や「ハラスメント対処の倫理性」にも通じる。
六、ビジネスにおける適用(個別解説)
項目 | 解釈・適用 |
---|---|
クライシス対応 | 一過性の失敗に対して、即処分するのではなく、段階的対処・周囲への配慮を優先すべき。 |
人事・評価制度 | 一つの失敗で全人格を否定する評価は、人材を失うリスクが高い。功労や将来性を加味せよ。 |
組織文化 | 形式主義に陥ると、内部から信頼と人材を蝕む。合理性と情理のバランスが必要。 |
社内トラブル | 事実関係だけでなく、背景・文脈・当人の意図や体調までも考慮する柔軟性が、真の「公正」につながる。 |
危機広報 | 社会からどう見られるか(レピュテーション)も処分と同様に重視すべき判断材料である。 |
七、心得の結び:「情理を欠いた秩序は、忠臣をも殺す」
忠義ある家臣であっても、形式に偏った判断によって処されるとき、
その組織は「忠誠心を奪う組織」へと変質していく。
常朝の四段進言は、まさに組織の中にある「赦し」の知恵であり、
現代のマネジメントにも通ずる叡智である。
過失よりも、「どう処すか」で組織の品格が問われる。
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