一、原文の引用と現代語訳(逐語)
原文抄(聞書第二より)
謂はれ無く朋輩に席を越され、居肩下りたる時、少しも心にかけず、奉公する人あり。
またそれを腑甲斐なきと云ひて愚意を申し、引取などするもあり。
いかがと申し候へば、それは時により事によるべし。
現代語訳(逐語)
- 理由もないのに、同輩に先を越され、自分の立場が下がったとき、それを気にせず、黙々と奉公を続ける人がいる。
- 一方で、「それでは腑抜けだ」と文句を言い、奉公を辞してしまう者もいる。
- どちらが正しいかは、一概には言えず、その時と状況によるものである。
二、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
謂はれ無く | 正当な理由もなく、根拠がないままに。 |
朋輩(ほうばい) | 同期・同僚・同じ身分の仲間。 |
席を越される | 地位・役職・功績などで先を越されること。 |
腑甲斐なき(ふがいなき) | 意気地がない、情けないという意味。 |
愚意 | 愚かな自説や主張。 |
三、全体の現代語訳(まとめ)
理由もなく同僚に昇進などで先を越された場合、そのことを気にせず奉公を続ける人もいれば、「自分が劣っているようで情けない」として、不満を訴えて身を引く人もいる。
では、どちらが正しい態度かと問えば、それは一律に決められるものではなく、置かれた状況や文脈によって判断すべきである。
四、解釈と現代的意義
この章は、「出世=正義」とは限らないという、組織論の本質的視点を示しています。
特に注目すべきは、常朝が「どちらが正しいとは断じない」と述べている点です。
つまりこの章は、
- 「我慢すれば良い」
- 「怒って去るのは悪い」
という単純な道徳ではなく、
“自分の奉公の志”がどこにあるかによって、選択は異なる
という内面的な成熟を問うメッセージなのです。
五、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)
項目 | 解釈・応用 |
---|---|
組織内昇進の差 | 不合理な人事に直面した際、盲目的に耐えるのでも、感情的に離脱するのでもなく、「何のためにここにいるか」を見直す機会とする。 |
キャリアの主導権 | 他人の評価に人生を委ねず、自らの“志”や“信条”を行動基準に据えるべし。 |
リーダーの姿勢 | 組織のなかで誰かが昇進に不満を持っている場合、正論ではなく「背景」「意義」を対話によって共有すべきである。 |
辞め時・残り時 | 不満があるときに離れるのは弱さではない。ただし、「逃げ」か「決断」かは、自分の志と照らして判断することが重要。 |
六、補足:常朝の“沈黙の哲学”
この章で静かに語られているのは、“声をあげない美学”でもあります。
声をあげず、怒らず、淡々と奉公を続ける――
それは“諦め”ではなく、志の静けさと品格です。
一方で、敢えて声を上げて組織から離れることも、“自分を保つ手段”であるならば、否定されるべきではない。
どちらの選択肢にも尊厳がある――そのバランス感覚こそ『葉隠』の深みです。
七、まとめ:この章が伝えるメッセージ
- 他人に先を越されても、自分の軸を失うな。
- 感情ではなく、志に従って動け。
- 正しさは状況による。大切なのは“志の所在”である。
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