一、原文の引用と現代語訳(逐語)
原文抄(聞書第六より)
鍋島舎人助草履取十四歳になり候が、諫早家へお供致し…石見殿中間を斬殺し候仕方よく候故、お助けなされ候。
…いざ天下を取るべしと思立ち、夜昼工夫し篤と手に入り候。…しかと手に入り候へども、殊の外骨を折り、天下取りに成り候ても、仕置などに苦心多し…
…それよりは、出家になり、成仏したるが増となるべしと出家の修行を工夫し、真言宗に成り…日本に名を揚げ候名僧にて候。
詠歌
我多彼此(あれかこれかとガタピシ)と思ふ心のとけぬれば
自己智(じこち)もなくて無性(むしょう)なりけり
二、現代語訳(まとめ)
鍋島家の草履取りであった少年が、14歳で敵を斬り殺すという武勇を成し遂げたことをきっかけに、「どうせ人間として生まれたからには、天下を取ってやろう」と強く思い立つ。彼は日夜苦心し、ついに天下を取る道筋を見出した。
しかし、その道の先には並々ならぬ労苦が待ち受けていることに気づく。たとえ天下を取っても、それを治める苦労は果てしなく、人生はあくせくしたまま終わってしまう――それは虚しい。
そこで彼は出家し、真言宗の修行に専念。やがて「雲仙嶽のホッケ」と呼ばれ、日本に名を知られる高僧となった。
詠歌には「執着が解ければ、自己へのこだわりもなくなり、無の境地に至る」と詠まれている。
三、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
草履取 | 身分の低い奉公人。だがここでは「出世の可能性を持つ若者」として象徴的。 |
天下を取る | 権力の頂点に立つこと。転じて出世、成功、野心の象徴。 |
仕置 | 政治・行政など支配統治のこと。 |
無性(むしょう) | 仏教で言う「無我」「解脱」の境地。分別や執着から自由な精神状態。 |
自己智 | 自意識、知性への固執、自己中心的な分別心。 |
四、解釈と現代的意義
この章句は一見「出家と悟り」をテーマにした仏教的エピソードのように見えますが、常朝が本当に語っているのは、「世俗的な出世・成功」への冷静な視座です。
- 成功するためには膨大な努力が必要であり、得たとしても「安寧」にはつながらない。
- 本当の「生の価値」は、“何かになること”ではなく、“何かを手放すこと”によって生まれる。
- 「無念さ」は出世欲を呼ぶが、「無心さ」は人生を静かに照らす。
現代の価値観でも、功名・野心に燃えた人が、途中でその虚しさに気づき、“人生の目的”を内側に見出す過程として捉えることができます。
五、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)
項目 | 解釈・応用 |
---|---|
キャリア設計 | 昇進や肩書きは手段であり、人生の目的ではない。本当に満たされる道は“志”と“内的成就”にある。 |
リーダーシップ | 組織の頂点に立つほど、苦労・責任・調整がつきまとう。「取ること」より「治めること」の難しさを理解するべき。 |
燃え尽き症候群(burnout) | 成功を追い求めるばかりでは空虚に至る。時に手放すことで、真に創造的な再出発が可能となる。 |
精神的マネジメント | ビジネスでも「競争を超えた精神性」が組織文化に深みを与える。自己を離れ、公益へと視座を移す時期が必ず来る。 |
六、補足:なぜ『葉隠』で“出世否定”が語られるのか
常朝は決して「挑戦」や「努力」を否定しているわけではありません。
むしろ、「生き急ぐな」「勝つことに囚われるな」「静かに自らを見つめよ」という、内的成熟の価値を説いています。
― 天下を取るより、自分を治めよ。
― 名を上げるより、無心に生きよ。
これこそが武士道の精神の“到達点”であり、“引き際の美学”ともいえるのです。
七、まとめ:この章が伝えるメッセージ
- 出世の道には終わりがない。得た先に、苦労はついてまわる。
- “何者かになろう”とする執着を超え、“あるがままに在る”価値を知れ。
- 最終的な「勝利」とは、自己を手放した“静かな覚悟”にある。
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