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真の忠義は“静かなる一点”に現れる ― 混乱時にこそ軸を失うな


一、原文(抄出)

石隈子五郎左衛門の事。申の年江戸大火事、光茂公・綱茂公麻布お屋敷に御座なされ候処、
お屋敷に火懸り、急に焼け塞がり、お出でなさるる道これなく、
お馬に召し御座なされ候を、お側・外様の者大力量を出し、塀を切崩し、そこよりお出で、
お立退き遊ばされ候。五郎左衛門はお馬の脇に立ち、御鐙に手を懸け、始終何の働きも仕らず候。
火鎮まり候後、いづれも御感を蒙り候に、第一石隈事、有馬にて名を取り候者の子ほどありて、
その志御感心浅からぎる由にて、御褒美なされ候。気の付け所、格別なる由なり。


二、書き下し文(現代仮名)

申の年(寛文八年)江戸で大火が起こり、鍋島藩の麻布屋敷にも火が及んだ。
藩主の光茂公とその子・綱茂公は馬に乗って避難しようとしたが、火勢が激しく逃げ道を失った。
家臣たちは力を合わせて塀を崩し、主君を脱出させた。

その間、石隈五郎左衛門は殿の馬の鐙に黙って手をかけ続け、動かなかった。
避難が終わった後、皆が賞賛されたが、とりわけ石隈はその“静かなる忠誠”を称えられ、
「気のつけどころが違う」と褒美を賜った。


三、用語解説

用語解説
鐙(あぶみ)馬に乗るときに足を乗せる金具。馬を制御・安定させるための重要な装備。
塀を切崩し非常時に退路を確保する行為。実際に力仕事をした者たちが多数いた。
気の付け所この逸話のキーワード。混乱の中で「動かず」「逃げず」「主君の馬を支えた」行為を指す。

四、全体現代語訳(まとめ)

寛文8年、江戸の大火で鍋島家の麻布屋敷が延焼した際、藩主と世子は馬で避難しようとしたが、火勢が激しく退路がなかった。
家臣たちが協力して塀を崩して逃げ道を作る中、石隈五郎左衛門は馬のそばで主君の鐙に手をかけたまま動かなかった。

一見すると、彼は何もしていないように見えるが、混乱の中で殿が落馬したり馬が暴れたりしないように“支え”続けたのだ。
この判断と静かな忠誠が、主君に最も深く感銘を与え、賞されたのである。


五、解釈と現代的意義

この逸話が教えるのは:

「混乱時ほど、動くことより“とどまるべき一点”を見失うな」

多くの者があわただしく動き回る中、石隈だけは**“最も重要な一点=主君の安定”に集中していた**。
一見目立たないが、まさにそれが要所だった――この視点が「気のつけどころが違う」という称賛につながった。


六、ビジネスにおける応用

シーン具体例応用ポイント
クライシス時の対応問題発生時、ただ動くのではなく「最も失ってはならないポイント」を支える(例:顧客の信頼、社員の安心)アクションより“中心軸”の死守が評価される
会議や緊急案件対応複数人が喋る中で“沈黙して聞き支える”存在が意外に効く声の大きさより“重心の置き方”で信頼を得る
プロジェクト責任者誰もが忙殺される中、リーダーの決断環境を整える主導者にとっての「鐙」を支える者が最も信頼される

七、心得まとめ

「目立たずとも、肝心の一点を守り抜け」
・混乱時に焦って動き回るのは、評価されない
・“何もしない”ように見える中にこそ、“何より重要な仕事”がある
・目立つ成果より、“失ってはならぬ一点”を守る胆力を持て


✍補足:この話が現代にも刺さる理由

現代は「マルチタスク」「スピード」「目に見える成果」が重視されがちです。
しかし本当に信頼されるのは、混乱やプレッシャーの中でも“支える姿勢”を崩さない人間です。
あなたの周囲にもいませんか?大声で主張せずとも、皆の“基準”になっている人。

それこそが、石隈五郎左衛門のような人物です。
そんな“支え手”であることが、リーダーからの信頼を得る最大の要素なのです。


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