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細部にこそ忠誠が宿る ―“気づき”の力が信頼を築く


一、原文(抄出)

志波喜左衛門御小姓役の時の事。
勝茂公御代には、御家中の者、大身小身によらず、幼少の自分よりお側に召使はれ候。
喜左衛門相勤め候時分、ある時お爪をお切りなされ、「これを捨てよ」と仰せられ候へば、手に載せ候て、立ち申さず候に付、「何ぞ」と仰せられ候へば、「一つ足り申さず候」と申上げ候。
「ここに有り」とて、おかくし召置かれ候を、お渡しなされ候由。


二、書き下し文(現代仮名)

志波喜左衛門が御小姓として勤めていたときのことである。
ある日、勝茂公が爪を切られ、「これを捨てよ」と命じられた。
喜左衛門はその爪を手に乗せたまま、立ち上がらなかった。
「どうしたのか」と尋ねられると、
「ひとつ、数が足りませぬ」と申し上げた。
すると勝茂公は「ここにある」と、隠しておかれたひと切れを渡されたという。


三、用語解説

用語解説
御小姓大名の身の回りの世話をする若年の家臣。若い武士の登竜門的職務でもある。
「これを捨てよ」爪は当時「身の一部」とされ、無造作に扱ってはならなかった。信頼と責任を伴う指示でもある。
おかくし召置かれ候「あえて隠されていた」ことを意味する。これは主君による試し行為と解釈される。

四、全体現代語訳(まとめ)

勝茂公の時代、家臣の子弟は幼少の頃より小姓として仕える慣習があった。
ある日、志波喜左衛門が主君・勝茂公の爪を捨てるよう命じられたが、彼は爪を数えて一つ足りないと気づいた。
その旨を主君に申し上げると、勝茂公は「ここにある」といって隠しておいた爪を差し出された。
これは、主君が家臣の注意力と誠実さを試した逸話である。


五、解釈と現代的意義

この話が示す最大の教訓は――
**「細部を見落とさないことこそ、信頼の証である」**ということです。

この逸話は、「忠誠心の深さは、最も些細な場面に現れる」ことを示すとともに、**「試されるときを見抜く力」と「平常心における誠実さ」**の重要性を伝えています。
また、主君があえて爪を一片隠していたことは、家臣の注意力を試す「扶智(ふち)」の術とも解釈でき、中国古典『韓非子』にある「君主の七術」とも対応します。


六、ビジネス応用(現代的視点)

シーン現代での具体例応用ポイント
✅ 上司の指示対応書類10部の用意を頼まれ、9部しかなかったと気づくただ実行するだけでなく、数・内容を確認する主体性
✅ 会議準備「全部そろっているか?」と聞かれたとき、資料の抜けを事前に察知指示の背後にある意図や品質基準に気づく力
✅ 部下や後輩との仕事「細部まで見てくれている」と感じさせる配慮観察力と信頼構築の土台に

七、心得まとめ

「小事に命をかけよ ― 細部こそ忠義の照明」
・“やれと言われたからやる”のは最低限
・“何のためかを汲み取って行動する”のが信頼の核心
・細部への気づきが、仕事の質と信用を大きく分ける


このような気づきと誠実さは、目立たないようでいて、一流の人材に共通する資質です。「たった一枚の爪が足りない」と気づける目は、今で言えば、細かな仕様ミスや報告漏れに気づける力と同義です。

さらに知的・戦略的に応用する場合は、「上司や顧客の真意を汲み、予見的に対応する能力」に通じるものとも言えます。

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