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治むるは任せるにあり ― 寛と簡にして、しかも統ぶ


一、原文(抄出)

「話にかからぬ病身にて、大寺を預りよく勤むべしと思ひたらば、仕損じこれあるべく候。成る分と存じ候ゆゑ、気色勝れざる時は、名代にして諸事済し、なにとぞ大はずれの無き様にと心掛くるばかりなり」

「粗に入り細に入り、よく事々を知りて、さて打任せて、構はずに役々にさばかせて、もし尋ねらるる時は、闇き事なく差図致さるる故よく治り申し候と思はるるなり」


二、書き下し文(要所)

ある和尚は「病弱の身でこの大寺を治めようとすれば、無理が生じる。だからこそ、分相応に、できるだけ大過のないように心がけるだけ」と語った。
前の住職たちは「厳しすぎる」「任せすぎる」と極端であったが、この和尚は、すべてを把握したうえで人に任せ、干渉せず、聞かれたときには即座に指示できるよう心がけていた。
だからこそ、問題も起きず、寺僧たちもよく従った。


三、逐語現代語訳

  • 「話にかからぬ病身にて」:体が弱くて、すべてを自分で直接関わることができない。
  • 「粗に入り細に入り」:事の全体から細部までよく理解している。
  • 「打任せて構わず」:必要以上に干渉せず、現場の者に任せる。
  • 「尋ねらるる時は闇き事なく」:質問されれば、即座に明確に答えられる準備がある。
  • 「大はずれの無き様に」:致命的な失敗が起きないように気を配っている。

四、補足出典:宋の宰相・欧陽修の名言

「明なれども察に及ばず、寛なれども縦に至らざれば、吏民これに安んず」

これは「知っていても細かくは詮索せず、寛容だが放任しない」ことで、部下も民も安心して従うという政治哲学を表します。
欧陽修はその統治手法を「寛(おしつけず)と簡(くだくだしさを除く)」と説きました。

この章句は、まさにそれを体現する管理の姿です。


五、全体現代語訳(まとめ)

現代の組織運営に置き換えれば、この和尚の管理術は「すべてに通じているが、干渉はしない」という高度なマネジメントの姿である。
ただの放任ではなく、全体像を深く理解した上で、信じて任せ、聞かれた時には明確に応答できる
このバランスが、過度な支配と無責任な委任の間にある「真の管理」であり、組織が自然とまとまる鍵である。


六、ビジネスにおける応用(実践項目)

項目解釈・応用
マイクロマネジメント回避細部に通じていても、いちいち干渉しない。任せる勇気を持つ。
リーダーの「情報把握力」実務に手を出さずとも、全体とポイントを把握しておくことで「要所での指示」が可能になる。
放任と信頼の違い信頼して任せることと、責任放棄は異なる。背後に“備え”がある信頼が真の任せ方。
危機管理としての「準備」問われたときに即応できる準備・情報整備を行っておく。
中間管理職の育成現場責任者に判断を任せることが、人材育成・自律性の強化に直結する。

七、心得まとめ

「知りて任せ、問われて応ず ― 真の管理者は影のごとし」

組織をよく治める者は、すべてを見ているが、すべてに口出しはしない。
見えないところで把握し、必要なときに応ずる。
これこそが、「寛」と「簡」を兼ね備えた指導者の器であり、
制度で縛るのではなく、信頼で支える管理こそが、組織を健やかにする。

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