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渡る前に見極めよ ― 忠義も戦略も時と場を読む


一、原文(抄出)

ある出家申され候は、淵瀬も知らぬ川をうかと渡り候ては向へも届かず、用事も済まず、流れ死も仕る事に候。
時代の風俗、主君の好嫌をも合点なく、無分別に奉公に乗気などさし候はば、御用にも立たず、身を亡し候事これあるべく候。
御意に入るべくと仕るは、見苦しきものに候。先づ引取りて、ちと淵瀬をも心得候て、お嫌ひなさるる事を仕らざる様、仕るべきことと存じ候由。


二、書き下し文

ある出家申され候は、「淵瀬も知らぬ川をうかうかと渡れば、向こう岸にも着かず、用も果たせず、溺れ死ぬこともある」と。
時代の風俗や主君の好悪もわきまえず、分別もなく奉公に熱中すれば、ご用にも立たず、身を滅ぼすこともありましょう。
ただ御意に入ることばかりを考えて仕えるのも、見苦しいことです。
まず立ち止まり、川の深浅を確かめ、主君の嫌うようなことは避けるように奉公すべきだと存じます、とのこと。


三、逐語現代語訳

  • 「ある出家申され候は…」
     ある僧がこう語った――深さや浅さも知らない川をうっかり渡ろうとすれば、目的地に着くこともできず、用も果たせず、命を落とすことがある。
  • 「時代の風俗、主君の好嫌をも合点なく…」
     時代の流れや主君の好みや嫌いを理解せずに、やみくもに奉公に熱を入れても、役には立たず、身を滅ぼすことにもなる。
  • 「御意に入るべくと仕るは、見苦しきものに候」
     ただ主君に気に入られようとするだけの奉公は、かえって見苦しい。
  • 「先づ引取りて…」
     まず立ち止まり、川の深浅(状況)を見きわめて、主君の嫌うことを避けるように奉公すべきだ、というのである。

四、用語解説

用語意味
淵瀬(えんせ)川の深い所と浅い所。比喩的に、物事の危険度・難易度。
流れ死(ながれじに)水に流されて溺れ死ぬこと。ここでは「思慮のなさによる失敗や破滅」を示す。
奉公主君に仕えること。現代でいえば「忠誠をもって勤めにあたること」。
好嫌(こうけん)好き嫌い。ここでは主君の人柄や価値観。
御意に入る主君に気に入られること。
見苦しき下品であり、見ていられないほど醜いさま。

五、全体の現代語訳(まとめ)

川を渡るときに深さを確かめなければ命を落とすのと同じように、奉公もまた、時代の流れや上司の性格、組織の空気を理解せずにがむしゃらに動くと、うまくいかないどころか、自分を滅ぼすことになりかねない。
ただ上司に気に入られることだけを考えるのも本質を見失った行為である。
まず状況を見極め、踏み外さないように心がけることが、真の忠義である。


六、解釈と現代的意義

この章は、「情熱や忠誠だけでは通用しない」現実を静かに教えている章句です。
現代のビジネス社会でも、上司や顧客の意図を読まずに自己流で動き、かえって迷惑をかけたり信用を失ったりする場面は多く見られます。

また、「媚びへつらい」や「過剰な忖度」も逆効果であり、信頼を得ることにはつながらないことを鋭く指摘しています。


七、ビジネスにおける応用(実践項目)

項目解釈・応用
業務判断自分の判断だけで突き進まず、事前に状況・背景を調査する習慣を持つ。
組織内コミュニケーション上司や関係者の価値観や優先事項を理解した上で提案・行動する。
リスク管理「熱意」よりも「配慮」と「下準備」が成果を左右することを忘れない。
自己評価媚びではなく、本質的に役立つ提案と行動を重視する。
プロジェクト推進初動の「踏み込み」ではなく、準備・環境整備が成否を分ける。

八、心得まとめ

「闇雲に動くな、まず水深を見よ」

奉公とは、忠義の名のもとに自己満足を押しつけることではない。
主君や上司、組織の「好み」や「地形」を見極めてこそ、本当に役に立つ人材になれる。
「渡る前に観よ、そして確かに渡れ」――これが、現代の実務者に贈る『葉隠』の教えである。


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