一、原文と逐語訳
原文(聞書第九)
山本神右衛門末期の事
神右衛門八十歳にて、病中「うめきさうなる気色」と申し候に付、「うめき候へば気色もよくなる様にこれあるものに候。うめき申され候様に」と申し候へば、
「左様にてこれ無く候。山本神右衛門と諸人に名を知られ、一代口ききたる者が、最期にうめき声を人に聞かせ候てはならず」
といひて、終にうめき声を出し申されず候由。
現代語訳(逐語)
父・山本神右衛門が八十歳で臨終を迎えたとき、病床において苦しさのあまり「うめき声が出そうだ」と言った。
それを聞いた家族が、「うめき声を出せば、少し気が楽になります。無理せずお出しください」とすすめたところ、神右衛門はこう言った。
「そんなことはできぬ。山本神右衛門として名を知られ、一生“勇ましいことを言う者”として通してきた。この最期のときに、うめき声など人に聞かせてはならぬ」
その後も、ついに一言もうめき声を発することなく息を引き取ったという。
二、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
気色(けしき) | 様子、兆し。ここでは「うめきそうな様子」。 |
口ききたる者 | 弁が立ち、気概ある言葉を放つ者。名のある人物。 |
うめき声 | 肉体的苦痛の表れとされ、武士にとって“弱さ”の象徴とみなされた。 |
諸人に名を知られ | 世間にその名と評判が知られている者。 |
三、全体の現代語訳(まとめ)
山本常朝の父・神右衛門は、武士として一生を貫いた男であった。
その晩年、病に倒れ苦痛にあえいでも「うめき声を発することは、誇りある生涯への裏切り」と考え、死の瞬間に至るまで一声も漏らさなかった。
“最期の瞬間”にこそ、自らの人生と名にふさわしい覚悟と様式美を示す――それがこの話の主題である。
四、解釈と現代的意義
✦ 死に際こそ「その人の本質」が出る
神右衛門は「名は体を表す」だけでなく、「死にざまは、生きざまの証」と見なしていた。
自らの名が、気骨ある男として知られている以上、最期までその期待に応えることを選んだのである。
✦ 苦しみのなかでも美意識を貫く精神
今日において、苦痛や弱さを見せることは恥ではないとされる。しかし、この章句では「人に見られる以上、自己を律する誇り」が強調されている。
✦ 名と責任に生きる思想
「山本神右衛門」として知られた名を、最期まで守り切る。これは一個人としてではなく、“社会に認識された存在として”生きることの覚悟と責任である。
五、ビジネスにおける解釈と応用
ビジネス状況 | 応用・教訓 |
---|---|
リーダーの引退・交代時 | 最後の言動が“その人のすべて”として記憶される。去り際に誇りある振る舞いを。 |
社外発表・謝罪・退任会見 | 一言一句に“生き様”が映る。弱音を吐かず、責任ある発言をすることが重要。 |
難局・危機管理 | 苦しくても、下を向かず、周囲を鼓舞する姿勢を見せる。 |
社内文化の形成 | 自身の“ブランド”を崩さぬよう、日々の言動に一貫性を持つ。 |
六、まとめ:この章句が教えるメッセージ
- **「最期まで役を演じきること」**が、武士にとっては本懐であり、生き様の完成だった。
- 他者からの評判や認識も、自身の“誇り”のうち。生涯築いてきた名を、どこで裏切るかが人生の評価となる。
- 現代の社会人においても、退任、異動、離職、引退など「終わりの場面」での振る舞いが、その人のすべてを語る。
🧭現代への置き換え:
「辞する日まで誇りを失うな。黙して去ることも、勇者の美学である」
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