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わが身よりも、義を貫け


一、原文と現代語訳(逐語)

原文抄(聞書第七)

新五郎儀も小舅の悪儀に付て、さっそく江戸より差下され、蟄居仕り候事三年にて候。

「是非とも女房に暇を出し候へ。その時は元々の如く召使はるべき事に候。今四石の身代にて何をながらへ申すべきや」と、たびたび意見申し候へども、
新五郎承引仕らず、
「全く女房にほだされ、暇を出し申さぬにてはこれなく候。我が身よかるべきとて、科もなき女房に暇くれ申す事は、義理なき事に候。餓死いたす覚悟に極め候間、お構ひあるまじく」と申し候由。

現代語訳(逐語)

新五郎は、妻の兄である権藤七兵衛が遊里通いの罪で切腹させられたことに連座し、藩命で江戸から佐賀に戻されて蟄居を命じられた。
その後、同じ一門の者たちから、「女房を離縁すれば連座は解け、再び出仕できる」と何度も勧められたが、新五郎はそれを断り続けた。
「妻に情があって離縁しないのではない。我が身かわいさに、罪なき妻を離縁することは義理に反する。餓死する覚悟はできている。どうか放っておいてくれ」と言ったという。


二、用語解説

用語解説
蟄居(ちっきょ)自宅の一室に閉じこもって反省・謹慎する武士の刑罰。社会的制裁でもある。
暇(いとま)を出す離縁・離婚すること。「暇状」とも言う。
義理人として果たすべき道理、倫理、筋目。「恩」と並んで武士道の基盤。
四石の身代ごくわずかな扶持。生活が困窮するレベルの禄高。

三、全体の現代語訳(まとめ)

牛島新五郎は、妻の兄の不祥事によって罰せられた。
しかし新五郎自身には一切の罪はなく、離縁すれば藩の処分も解かれ、元の立場に戻ることも可能であった。
それでも彼は、**「自分の立場を守るために、罪のない妻を捨てることは義に反する」**としてそれを拒んだ。
餓死も辞さぬ覚悟で、筋を通したのである。


四、解釈と現代的意義

この逸話の核は、「義理と打算のせめぎ合い」です。
新五郎は、出世や生活の安定と引き換えに、無実の人間(妻)を切り捨てるよう求められた。
だが、彼はそうした社会的合理性を退け、人としての“けじめ”を貫いたのです。

現代社会でも、私たちは日々こうした選択を迫られています。

  • 自分だけが得をする道か
  • 誰かを犠牲にしない道か

そのとき、「義理が立つかどうか」を判断基準にできるかどうか。
そこに“人としての尊さ”が宿るのです。


五、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)

項目解釈・適用例
人事判断利益や世間体のために、仲間や部下を切る判断をしてしまわないか。人の尊厳を守る姿勢こそ信頼を得る。
危機対応保身に走るのではなく、当事者意識を持って「関係者を守る判断」を下せるかどうかが真のリーダーシップ。
組織文化“義理と人情”を重んじる文化は、短期的損得では測れない強固な信頼と結束を育てる。
信頼の源泉正義感やルール以上に、“人としての仁義”が、周囲の信頼や支持を呼ぶ。長期的成果をもたらす原資となる。

六、補足:宋弘の「糟糠の妻」との比較

この逸話は、中国後漢時代の宋弘の名言

貧賤ノ交リハ忘ルベカラズ、糟糠ノ妻ハ堂ヨリ下サズ

と共鳴しています。
だが『葉隠』に描かれる新五郎の行動は、“徳”や“道徳”という言葉では足りない迫真の覚悟を感じさせます。

  • 出世の道を自ら閉ざしてまで「義」を通す。
  • 餓死を受け入れるという“命の選択”までも覚悟している。

まさに、「意地」ではなく「魂の核」がここにあるのです。


七、まとめ:この章句が伝えるメッセージ

  • 利益を得るために、大切な人を切り捨ててはならない。
  • 筋を通すとは、時に自ら損を引き受ける覚悟を持つこと。
  • 義理を守ることが、人間の本質的な尊厳である。
  • 出世や功績は得られなくても、**“心に恥じぬ生き方”**こそが最も価値あるもの。

目次

🔚現代への置き換え:

「人を守って自分を損なう」――その姿に、真の信頼と尊敬は宿る。

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