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孔子もまた「狂」を尊んだ――調和より気概を


目次

一、常識人が「狂」に憧れる理由

編者自身が「円満」「妥協型」であると自己開示するくだりは、自身の生き方が『葉隠』的な“狂”とは真逆にあると認めつつも、だからこそその精神に深く心を動かされるという逆説を明らかにしています。

これは単なるエッセイではなく、多くの“良識的ビジネスパーソン”が共感する内面的葛藤でもあります。

「妥協したあと自己嫌悪を感じるほどの、思い切りの悪さ」
→ これは現代に生きる私たちにとっても、他人事ではありません。


二、「狂」と「猜」――孔子の人間観(『論語・子路篇』より)

原文

子曰、「中を得てこれと与(とも)にせずんば、必ずや狂猜か。狂者は進みて取り、猜者はなさざるところあり。」

現代語訳(逐語・意訳)

  • 子曰く:孔子が言った。
  • 「中(ちゅう)を得て」:中庸(バランスの取れた理想的な人物)を得て
  • 「これと与にせずんば」:そのような人と付き合えないならば
  • 「必ずや狂猜か」:代わりに「狂」か「猜」の人と付き合うべきだ
  • 「狂者は進みて取り」:「狂」の者は熱意で突き進む、無謀なほどに挑む
  • 「猜者はなさざるところあり」:「猜」(慎重・猜疑心ある者)はしてはならぬことを絶対にしない

解釈

孔子は、

  • 理想はバランスの取れた人物(中庸)だが、
  • 世俗的な“凡庸”よりも、
    • 「狂」=大胆で理想に突き進む人
    • 「猜」=慎み深く悪に手を出さぬ人
      を尊重する――と語っています。

これは常識的だが凡庸な「郷原(きょうげん)」を批判し、「志を貫く者こそ尊い」とする思想です。


三、孔子と『葉隠』に共通する精神

孔子(儒教)山本常朝(葉隠)
理想は中庸。しかし「狂」や「猜」も高く評価する「狂気なき者、武士にあらず」として狂の精神を称賛
「郷原は徳の賊なり」=八方美人を排す「死を恐れる者は卑劣になる」=臆病は恥とする
志を持ち、実行することが人の価値志を定め、ためらいなく行動することが武士の価値

このように、両者は形式的道徳ではなく、“覚悟”や“気迫”に基づく人物観を共有しています。


四、現代人への教訓:「狂」もまた道徳である

この補章は、単に儒教を引用しただけでなく、

  • 妥協に甘んじる自分を見つめ、
  • それでも「狂」に惹かれる心の動きに正直になり、
  • 古典に学びながら、勇気の実践を志す姿勢

を体現しています。

これは、武士道に学ぶ者にとって最も重要な問い――

「理想に殉ずることを恐れていないか」

という自己への挑戦でもあります。


✅心得まとめ:「狂」こそ人格の芯である

“賢く安全に立ち回ること”を人は評価する。
だが、孔子はそうではなかった。

狂うほどに志を貫く者。
それこそが、人の道に殉じる者の本来の姿である。

凡庸の賢より、狂気の志。
生き方に芯を――“狂”を以て。


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