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死を忘れずに生きる者は、恥を知らぬ


目次

一、物語の要約:死を問う女房、覚悟を促す

背景

  • 高木某、近所の百姓三人との口論に敗れ、田の中で打ちひしがれ帰宅。
  • 女房が静かに問う:「死ぬことをお忘れですか?」
  • 高木は「忘れたことなどない」と答える。
  • 女房はなお言う:「いずれ人は一度は死ぬもの。だが、見苦しい死に方は無念です」と言い放つ。

仇討ち

  • 夜、子を寝かしつけ、松明を整え、女房が「頃合いよし」と夫を立てる。
  • 夫婦で脇差を手に踏み込み、二人を討ち取り、一人を負傷させる。
  • 高木は後に切腹を命ぜられた。

二、主旨:「死を意識する」ことが生を律する

この章句は、戦場の死ではなく、日常に潜む恥と怒りに対する死の覚悟を描いています。

  • 死を忘れた者=恥をかく者
  • 死を意識する者=生の一瞬一瞬に覚悟を持つ者
  • 見苦しい死=誠を尽くさなかった人生の象徴
  • 女房は、夫に「一度しかない命をどう使うのか」を問いかけたのです。

「人は一度は死ぬものにございます。…見苦しい死をなされては、無念でございます」

これは“死に様”を語っているのではなく、“生き様”を叱咤しているのです


三、女房の役割:死を促す者=命を呼び覚ます者

この話は、女性が“武士道の覚者”として描かれた稀有な例です。
女房は、ただ感情で怒るのではなく、「死生の真理」に立って夫を導いています。

女房の言葉その意味
「死をお忘れでは?」生き恥をかいたまま、死んでよいのかという問い
「見苦しい死では無念」死は選べないが、生き方は選べるという忠告
子を寝かせ、松明を用意し、先に立つ行動と責任の共担者であるという武士的連帯

四、現代的応用:「死ぬことをお忘れか」の問いは今も有効

この教えは、以下のように現代にも応用できます。

シーン意味・応用
経営・意思決定恥を忍んで妥協するよりも、志を通して敗れる方が誇りある死である。
組織のリーダー部下や家族に対し、自分の“覚悟”の姿勢で示すことの重要性。
人間関係・信頼口先でごまかさず、「この瞬間が最後ならどう動くか」で行動を選ぶ。
人生の危機・挫折負けたとき、打ちのめされたときにこそ、「死ぬことをお忘れか」と自問することで、立ち上がる芯が生まれる。

五、『葉隠』における「死」の意味再確認

この章で語られる「死」は、戦死や自害の話ではありません。
それは、**日々の行動を正すための“死の自覚”**なのです。

  • 『葉隠』は、「朝に改めては死に、夕に改めては死に」と繰り返す。
  • この「常住死身」の思想は、生を極限まで濃くする技法であり、
  • 恥をかいたまま生きることこそが、「真の死」であると説いています。

✅心得要約:死を忘れた者は、生きるに値せぬ

負けて帰ったその日、
叱るのではなく、「死を忘れたか」と問う女の言葉は、
人として、男として、武士としての魂の芯を思い出させる鏡である。

死を意識すれば、生き方が決まる。
死を恐れず、見苦しき生を退け、美しく敗れ、誠を果たして死す
それが武士の、そしてすべての「覚悟ある人間」の道である。


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