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絶体絶命からが真の勝負 ― 手を切られたら口でかみつけ


目次

一、章句の原文と逐語訳

🔹原文(聞書第七より)

大木前兵部勇気勧めの事
丘ハ部組中参会の時、諸用済みてよりの話に、
「若き衆は随分心掛け、勇気お嗜み候へ。勇気は心さへ付くれば成る事にて候。
刀を打折れば手にて仕合ひ、手を切落さるれば肩節にて、ほぐり倒し、
肩切離さるれば、口にて、首の十や十五は、食切り申すべく候」
と、毎度申され候由。

🔹現代語訳(逐語)

大木前兵部は、組の会合の際、用件が終わった後の雑談で、毎度こう言っていたという。
「若者たちはしっかり心がけて、勇気を身につけるようにせよ。
勇気というのは、気持ちさえ固まれば自然に出てくるものだ。
刀が折れたら素手で戦え。手を切り落とされたら肩で押し倒せ。
肩を失っても、口でかみつけ。それでも敵の首十や十五は食いちぎれるはずだ」


二、主旨:「絶望の中でも戦う気迫」こそが勇気の本質

この章句で語られるのは、単なる根性論ではなく、「何があっても最後までやり遂げる精神構造」です。

  • 手段が失われても、方法を変えてでも挑み続ける
  • 敗北を自分で決めない、限界を自分で決めない
  • 身体が壊れても“意志”があるかぎり戦いは終わらない

ここでは「勇気」が特別な才能ではなく、気持ちひとつで誰でも発揮できる力だと語られています。


三、現代的な翻訳と応用

この章句は、以下のようなシーンで応用できます:

状況教訓・応用
スタートアップ/新事業リソースが足りない、経験がない、協力者も少ない――そんな中でも「残っているもので戦う」姿勢が成否を分ける。
困難プロジェクト/障害対応道具(人・金・知識)が失われても、「やりきる覚悟」が状況を突破する。
病気・逆境・失敗後の再起肉体的・精神的な「限界」に直面しても、口(=言葉・信念・執念)だけででも前に進もうとする姿勢。
リーダーシップ部下が倒れても、上司が率先して「最後の一手」まで身を削って動く。それが信頼の源となる。

四、技術・武器ではなく、「執念」が本当の武器

刀が折れても戦え。手を失っても戦え。最後は口でも戦え。

この精神は、現代でいえば「リソースの有無や環境に左右されない行動力」を意味します。
つまり「装備」や「能力」ではなく、“諦めない心”こそが最強の武器なのです。


五、葉隠における“勇気”の定義

『葉隠』において、勇気とは以下のように位置づけられます:

  • 天賦の才ではない → 「訓練されるもの」
  • 感情ではない → 「一念の行動化」
  • 状況や条件によらない → 「自己の内にあるもの」
  • 理屈ではない → 「命を超えた執念の表れ」

六、まとめ:武士道とは、戦いを諦めぬ構え

  • 勇気は天から降るのではなく、「心がけ」で生まれる
  • 手段が絶たれても、心の火を絶やさぬ者は、まだ戦える
  • 勝敗よりも、「最後まで食らいつく覚悟」こそが武士道

✅心得要約:刀がなければ手で、手がなければ口で戦え――執念こそ勇気である

環境が悪い、武器がない、力が及ばない――そんな言い訳をしてはならぬ。
勇気とは、「どうあってもやり遂げる」と決めた意志から湧き出るもの。
限界を越えてこそ、本当の力が出る。
武士道とは、「最後の一手」まで魂で戦う者の道である。


この章は『葉隠』の中でも実践的かつ鼓舞する力の強い章句です。

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