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迷いを超えた知性は、言葉をも超える


目次

■原文(日本語訳)

第2章 第52節
クリシュナは言った。
「あなたの知性が迷妄の汚れを離れる時、
あなたは、聞くであろうことと、聞いたこととを厭うであろう。」


■逐語訳

  • ヤダー・テー・モハ・カルィラム・ブッディヒ・ヴィヤティタリシャティ(あなたの知性が迷妄の汚れを超えるとき)
    あなたの知性が無明・迷い・執着を脱し、清明になる時、
  • タダー・ガンターシ・ニルヴェーダム(そのとき、あなたは倦怠を抱くだろう):無関心・離欲が訪れる。
  • シュロタヴヤスヤ・チャ・シュルタスヤ(聞くべきことと、すでに聞いたことに対して)
    聖典や学説、知識に対する執着すらも捨て去る。

■用語解説

  • 迷妄(モーハ):真理を覆い隠す無明(アヴィディヤ)。自己を誤認し、執着や恐れを生む。
  • カルマラ(汚れ):心を濁らせる煩悩・思い込み・錯覚。
  • ニルヴェーダ(離欲・倦怠):あらゆる外的な情報や行為への執着からの超越。心の静けさと冷静。
  • シュロタヴヤ(聞くべきこと)/シュルタスヤ(聞いたこと):ヴェーダや経典、理論、知識。二元的知による外部情報。

■全体の現代語訳(まとめ)

クリシュナはここで、知性が無明から清明に至るとき
人はもはや外からの情報や知識に振り回されることがなくなると語ります。

「何を学ぶべきか」「何を信じるべきか」といった迷いが消え、
本質は自己の内側にあると知る境地に至る――それが智慧の完成の兆しなのです。


■解釈と現代的意義

この節は、情報過多の現代社会に対して鋭い洞察を与えます

今日、私たちは無数の「学ぶべきこと」「聞くべきこと」に囲まれ、
それゆえに判断に迷い、真に必要なことを見失いがちです。

しかし、ギーターは逆にこう言います:
知性が真に澄んだとき、外の知識すら不要になる。

それは「無知に戻る」ことではなく、
知識を超えて、知恵そのものになるという境地です。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用例
情報過多の超越情報や他人の意見に頼らず、自らの原理原則に基づいて判断する「内なるコンパス」を育てる。
思考の本質化成功哲学やフレームワークに翻弄されるのではなく、行動と経験から本質をつかむ姿勢。
セルフリーダーシップ上司や本からの指示を離れ、自らの価値観で意思決定を行える状態こそが成熟したリーダー。
智慧と知識の区別単なる情報の集積ではなく、「いま、ここで、どう動くか」という直観的な知恵が問われる。

■心得まとめ

「知識を超え、智慧に至れ」
何を聞き、何を信じるか――その迷いに心を奪われる間は、真の自由はない。
だが、内なる智慧が目覚めたとき
外の情報はもはや必要なくなる。

ギーターは語る:
「真の知とは、聞くことすら超える」

学びつつも、依存せず。
知りつつも、捨てる。
智慧は、沈黙の中に輝く。


次の第53節では、「三昧に至るために必要な集中と知性の安定」について語られます。

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