目次
■原文(日本語訳)
第2章 第44節
クリシュナは言った。
「その言葉に心を奪われ、享楽と権力に執着する人々にとって、
決定を性とする知性が三昧において形成されることはない。」
■逐語訳
- ブーガ・アイシュヴァリヤ・プラサクターーナーム(享楽と権威に執着する人々):五感の快楽や支配・富に心を奪われた人たち。
- ターヤーーパフリタ・チェータサーム(その言葉に心を奪われた者たち):華々しい言葉や外面的成功に心を支配されている者。
- ヴィヤヴァサーヤートミカー・ブッディ(決意に満ちた知性):明確で一点集中された精神の力。
- サマーデウ・ナ・ヴィディヤテ(三昧において成立しない):心が静まり、集中する境地(サマーディ)に至ることがない。
■用語解説
- ブーガ(享楽):感覚的快楽。食・性・快適さなどの対象。
- アイシュヴァリヤ(権力):地位・富・支配力など外的優位性。
- サマーディ(三昧):心が一つの対象に完全に集中している瞑想の究極状態。精神統一の極致。
- ヴィヤヴァサーヤ・ブッディ(決定性の知性):雑念のない明確な意志を持つ知性。ヨーガの核心。
- アパフリタ・チェータス(心を奪われる):心が外的な対象に引き寄せられ、内面の静けさを失う状態。
■全体の現代語訳(まとめ)
クリシュナは語ります。
快楽や権力といった欲望に惹きつけられ、華やかな言葉に心を奪われた者には、
心を一点に集中し、明晰な知性を育む境地(サマーディ)は訪れないと。
真の精神統一や覚醒は、欲望を超えたところにしか成立しないのです。
■解釈と現代的意義
この節は、「雑念や欲望にとらわれた心では、本当の集中も覚醒も得られない」ことを教えています。
現代社会では、広告、SNS、競争的な成功モデルなど――
私たちの心は四六時中「注意の奪い合い」にさらされています。
それに囚われ続ける限り、本来目指すべき目標に集中することはできないとギーターは警告します。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 解釈と応用例 |
---|---|
集中力と雑念の関係 | 多くの誘惑(利益、称賛、欲望)に心を取られると、判断力と集中力が低下する。 |
本質へのフォーカス | 見せかけの成果や承認に心を奪われず、自分の真の目的・使命に向かうことで、クリアな判断ができる。 |
リーダーの精神力 | 真に尊敬されるリーダーは、欲望や誘惑を超え、心静かに決断を下す。 |
マインドフルネス実践 | サマーディの境地のように、日々の実践(深い集中・静けさ)が、創造性や洞察力の源となる。 |
■心得まとめ
「心を奪われていては、心は静まらない」
快楽や権威、外面の飾りに引き込まれた心は、
真の集中、真の覚醒には至らない。
ギーターは語る――
「明晰なる知性は、無欲の中に芽生える」
外の言葉より、内なる声に耳を傾けよ。
そこにこそ、揺るがぬ道がある。
次の第45節では、「ヴェーダの三性(グナ)を超越せよ」とクリシュナが語り、
より深い実践への誘いが展開されます。
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