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たとえ死すべき存在でも、嘆くことに意味はない


目次

■原文(日本語訳)

第2章 第26節
クリシュナは言った。
「また、彼(魂)が常に生まれ、常に死ぬとあなたが考えるとしても、彼について嘆くべきではない。」


■逐語訳

  • もしあなたが考えるとしても(アタ・チェン・ナム・ニティヤジャータム):仮にあなたがそう信じていたとしても。
  • 常に生まれ(ニティヤム・ヴァー・マナシャシ):魂が永遠に生まれ続け。
  • 常に死ぬ(ニティヤム・ヴァー・ムリヤマンム):永遠に死に続けると考えるとしても。
  • 嘆くべきではない(ナ・タタハ・アヌショーチィトゥム・アルハシ):それでも、嘆くに値しない。

■用語解説

  • 仮定法的論理:ここでは、魂の不滅性を信じていない者への論理的なアプローチがなされている。
  • ニティヤジャータ/ニティヤム・ムリヤマンム:永遠に生まれ、永遠に死ぬ=生死を繰り返すサイクルにある存在という仮定。
  • アヌショーチィトゥム(嘆く):感情的な執着や悲しみによる嘆き。

■全体の現代語訳(まとめ)

クリシュナはこう言います。
「もし仮に、魂が生まれては死に、死んではまた生まれる存在だと考えていたとしても、
やがて死ぬものに対して嘆く理由はない」と。

これは、「魂は不滅である」という真理を信じない立場にも立った、徹底した論理による慰めです。


■解釈と現代的意義

この節の要点は、「どのように捉えても嘆く必要はない」という点にあります。
たとえ魂が不滅でない、あるいは死によって終わると考えたとしても、死すべきものに対して嘆くのは非合理である、という哲学的な観点です。

これは、死や喪失、別離を前にした人の苦しみに対し、感情だけでなく思考からも心を整える智慧を与える言葉です。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用例
執着からの解放「いつか終わる」ことを前提とすることで、成果や立場に過度な執着をしない心を持てる。
感情を越える視点部下の退職、プロジェクトの終了など、「失うこと」は人生の一部であると認識すれば、冷静な判断ができる。
合理的なマインド形成永続しないものに対して嘆きすぎることは、建設的なエネルギーを奪うだけだと理解し、次の行動に集中できる。
レジリエンス(回復力)終わりや損失を「当然あるもの」と受け止めることで、早く気持ちを切り替えられる強さを持てる。

■心得まとめ

「終わりあるものに、永遠の嘆きはいらない」
どれほど大切に思っていたものであっても、それが“生まれた”ものであるならば、
やがて“終わる”のも自然なこと。

失うことを受け入れることで、次の一歩が見えてくる。
悲しみを否定せず、しかしそこに留まりすぎず、私たちは進み続ける力を得るのです。


次の第27節では、**「死は必然」**であるという自然の法則が明確に語られます。

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