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戦いの前に心が崩れるとき、それは真実が見えてきた証である


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■引用原文(日本語訳)

「この上ない悲哀を感じて沈みこみ、次のように言った。
『クリシュナよ、戦おうとして立ちならぶこれらの親族を見て、』」
―『バガヴァッド・ギーター』第1章 第28節


■逐語訳(一文ずつ)

  • 「アルジュナはこの上ない悲しみに包まれて、
  • 心が沈み込み、クリシュナに語りかけた――
  • 『クリシュナよ、戦うために立ち並ぶ
  • この親しい者たちの姿を見ると…』」

■用語解説

  • この上ない悲哀(クリパーヤー・アーヴィシュタハ):単なる感情的な落ち込みではなく、「慈しみの心」が極限まで高まり、自我を越えて悲しみに包まれた状態。
  • 沈み込む(ヴィシュイダン):精神的に深く沈む。うつ状態や強い喪失感と近い概念。思考・感情・身体が制御できなくなっていく兆し。
  • 親族(スヴァジャン):直訳すると「自分の民、自分に属する者たち」。血縁だけでなく、心で結ばれた仲間全体を含む。

■全体の現代語訳(まとめ)

アルジュナは、自分の目の前に立ち並ぶ親しい者たち――親族、友人、師、家族――の姿を見て、深い悲しみに包まれる。戦うべき相手が「敵」ではなく「大切な人」であることに気づいたとき、心は強さではなく、慈しみによって崩れていく。ここからアルジュナの苦悩が本格的に始まる。


■解釈と現代的意義

この節は、「心ある者」だからこそ苦しむという真実を描いています。冷酷になれば簡単に決断できることも、慈しみを持つ者には非常に重い。アルジュナは、ただ戦士としての責務を超えて、「人としての苦悩」に向き合い始めたのです。

現代でも、リーダーや経営者、親や教師といった立場に立つ人間が、「何が正しいか」と「何が苦しいか」の間で葛藤します。この苦しみは、弱さではなく“誠実さ”の証です。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
感情の重みを受け入れる大きな意思決定の前に感じる「違和感」や「悲しみ」を無視せず、むしろ指針として扱う。
人間性と職務のバランス冷徹な判断と人としての感情の間で揺れることは、責任ある立場の自然な状態である。
チームに対する想い部下や仲間を「戦力」ではなく「家族のような存在」と感じることは、リーダーとしての成熟の証。
苦悩と成長大きな葛藤や痛みを通過した後にこそ、真にブレない判断軸が育つ。苦しみは無駄ではない。

■心得まとめ

「悲しみが訪れたとき、そこに真実の光が射し込む」
アルジュナの心を満たしたのは怒りではなく、深い悲しみだった。それは人間としての本能であり、慈しみの発露である。葛藤の中で苦しむことは、心ある者にしかできない高貴な行為。強さとは、迷わぬことではなく、迷いながらも向き合い続ける姿にある。


次の節(第29節)では、アルジュナの身体が震え、心身が言うことをきかなくなっていく様子が描かれます。

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