MENU

見ることから、真の戦いは始まる


目次

■引用原文(日本語訳)

「ビーシュマとドローナの面前で、
そしてすべての王の前で戦車を止めて告げた。
『プリターの息子(アルジュナ)よ、集結したこれらクルの一族を見よ。』」
―『バガヴァッド・ギーター』第1章 第25節


■逐語訳(一文ずつ)

  • 「(クリシュナは)ビーシュマとドローナの前に戦車を止め、
  • その場に集った王たちの面前で、
  • アルジュナに言った――
  • 『プリターの息子よ、ここに集まったクル族の一族を見よ。』」

■用語解説

  • ビーシュマとドローナ:アルジュナにとっての祖父(ビーシュマ)と師(ドローナ)。カウラヴァ側に立ってはいるが、深い愛情と因縁のある人物たち。
  • すべての王の前で:両軍に集った諸国の王たち。戦いは一族同士だけでなく、列国を巻き込む広範な争いとなっている。
  • プリターの息子:アルジュナの別名。「プリター(クンティ)」はアルジュナの母。ここで個人名ではなく血縁を呼ぶことで、感情を呼び起こす効果がある。
  • クルの一族:クル族に属する親戚・一門。アルジュナにとっては、戦う相手であり、同時に家族でもある。

■全体の現代語訳(まとめ)

クリシュナはアルジュナの願いに応じ、戦車をビーシュマとドローナ、そして両軍の王たちが見える場所に止めた。そして静かに、「アルジュナよ、よく見よ――ここにいるのは、単なる敵ではない。あなたの一族なのだ」と告げる。これは単なる観察ではなく、「この戦いの重さと真実を、自らの目で確かめよ」という導きの言葉である。


■解釈と現代的意義

この節は、「見よ」という一言にすべてが凝縮されています。クリシュナは命令もしない、説教もしない。ただ「見よ」とだけ言う。それは、リーダーや導き手がすべき本質的な姿勢を象徴しています。

現代でも、何かを判断する前に「よく見ていない」まま進んでしまうことは少なくありません。見ないことは、判断の放棄でもあります。クリシュナはアルジュナに「自分の意志で、目で、現実を受け止めよ」と促しているのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
判断前の観察決断を下す前に、利害関係者(顧客・取引先・部下)をよく「見る」姿勢が正しい判断を導く。
リーダーの導き方命令せず、状況を見せ、「あなた自身の目で確かめよ」と促すことが、真のリーダーシップ。
感情と理性の交差点見る対象が親しい者(上司、元同僚、かつての部下)である場合、「理」と「情」がぶつかる。そこにこそ判断力が試される。
意思決定の重み見ることによって、行動の結果に対する「責任」が発生する。だからこそ、「見ない」ことは逃避でもある。

■心得まとめ

「見なければ、決断はできない。見ることは、真の責任を引き受けることだ」
クリシュナは、アルジュナに「戦え」とは言わない。ただ「見よ」と言う。見ることは、知ることであり、知ることは、選ぶということだ。逃げずに見る者だけが、行動の真価を問うことができる。


次の節(第26節)では、アルジュナが実際に親族たちの顔を見て、心に深い葛藤を覚える場面へと続いていきます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次