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すべては捨てられなくとも、執着は捨てられる


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■引用原文(日本語訳)

「実に身体を持つ者は、行為を残らず捨てることはできない。だが、行為の結果を捨てた人は、捨離者と呼ばれる。」
(バガヴァッド・ギーター 第18章 第11節)


■逐語訳

肉体を持つ存在(人間)は、行為(カルマ)をすべて完全に捨て去ることはできない。
しかし、行為の**結果(パラ)を捨てた者は、本当に捨離者(ティヤーギー)**と呼ばれる。


■用語解説

  • 身体を持つ者(デーヒン):この世に生きる人間。肉体に束縛され、時間・空間の制約の中にある存在。
  • 行為(カルマ):意識的・無意識的に行うすべての思考・言葉・身体の動作。生きる限り必然的に伴うもの。
  • 結果を捨てる(パラ・ティヤーガ):行為の報い・成果・他者からの評価などに執着しないこと。
  • 捨離者(ティヤーギー):物理的に何もしていない人ではなく、心の中で執着を手放している人のこと。

■全体の現代語訳(まとめ)

人間としてこの世に生きている以上、何かをしないで生きることはできない。
食べる、話す、考える、動く――すべてが「行為」であり、完全な無行為はあり得ない。
しかし、行為に伴う「結果」に心を縛られず、報いを求めずに行動できる人こそが、真の「捨離者」である。


■解釈と現代的意義

この節は、「完全に何もせずに生きることが悟りではない」という重要な視点を与えてくれます。
現実に行動しながらも、執着を持たず、期待に振り回されずに生きること――それが精神的自由への道です。
「行動」と「執着」は違う。行動は避けられないが、執着は選べるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
働き方のバランス「働かない」「逃げる」ことを悟りと勘違いしてはならない。働きつつ執着を捨てることが成熟した姿勢。
プロジェクト管理結果がどうあれ、計画通りに誠実に実行したという事実は、それ自体が価値ある。結果に心を縛られずに前に進む力が重要。
自己評価とメンタルヘルス成果や他者評価が思い通りでなくても、自分がやるべきことをやったかどうかに基準を置けば、心は安定する。

■心得まとめ

「行為は避けられない。ならば、執着だけを捨てよ」
何もしないことが悟りではない。働き、動き、考えながらも、結果にとらわれずに生きること。
それが『ギーター』が示す真の「捨離」であり、現代においても「成熟した行動人」のあり方である。

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