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真理は聞くだけでなく、体験によって得られる


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■引用原文(第11章 第3節相当)

アルジュナは言った。
「あなたが御自身について語られた通りであると、私は確信しています、至高の主よ。
ですが私は、あなたの荘厳なる真の姿を見たいのです。
おお、至高のプルシャ(人格神)よ。」
—『バガヴァッド・ギーター』第11章 第3節


■逐語訳(一文ずつ訳す)

  • あなたが語られたように、私はあなたを認識しています。
  • おお、至高の存在よ(バガヴァーン)!
  • しかし、私はあなたの神なる宇宙的な姿をこの目で見たいのです。
  • おお、至高のプルシャよ!

■用語解説

  • 至高の主(バガヴァーン):宇宙の支配者、全知全能なる神。ここではクリシュナを指す。
  • プルシャ(puruṣa):人格をもった神・宇宙の本体であり、霊的実体。対義語は「プラクリティ(自然・物質)」
  • 語られた通りである:理論的には理解し納得しているという意味。
  • 姿を見たい(ダルシャナ):実際に神を「体験したい」「直接観たい」という強い願い。

■全体の現代語訳(まとめ)

アルジュナは、神であるクリシュナの教えを信じ、真理として受け入れていると表明します。
しかし同時に、言葉や理論ではなく、直接その「神性の姿」を見て、真理を体験的に把握したいと願い出る。
これは「知る」から「感じる」への大きな転換点です。


■解釈と現代的意義

この章句は、「理屈としての納得」と「体験としての確信」の違いを明確にしています。
人は、頭で理解しただけでは本当に納得したことにはなりません。
実際に見て、聞いて、体験することでしか得られない確信があるのです。
アルジュナのこの願いは、「精神の成熟は体験によって深まる」という真理を教えてくれます。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
マネジメント理論だけでなく「現場を見る」「体験する」ことが、真の理解を生む。
顧客理解データやアンケートだけでなく、実際のユーザーの行動を観察・体験する重要性。
自己成長知識を得るだけでなく、行動に移し体験を積むことで、人格とスキルが磨かれる。
教育・指導説明だけでなく「一緒にやって見せる」「体験させる」ことで、より深い学びが生まれる。

■心得まとめ

「知るだけでなく、感じてこそ真実となる」

理屈は信じても、行動に至らなければ本当の意味では「納得していない」。
アルジュナのように、「実際に見て、確かめたい」という姿勢は、現代においても学びの核心です。
ビジネスでも、計画や理論だけで動くのではなく、自ら現場を見て、感じて、経験を積む人が、本当の信頼と結果を得るのです。

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